〈その時、北九州へ飛んだのも、何とか助けてほしいと思い、電話で話すより、会ってゆっくり話をしたかったから。「せめて、私が住み込んで働く場所を一緒に探してほしい」と頼んだが、やはりダメだった。一度は諦めて京都へ帰ったが、いま一度会って頼んでみようとまた北九州へ行って、前と同様、泣き泣き話したが同じことだった〉
この際、彼女が睡眠薬200錠を買ってYに心中を迫ったが、相手にされなかったともいわれる。彼女は自分が利用され、だまされ、9億円も貢いだ果てに捨てられながらも愛を信じていた。Yがかくまってくれたら当座の生活費に、と持っていた220万円のうち150万円もYに渡してしまった。
OとYの懲役は…
1976(昭和51)年3月16日の論告求刑ではO、Yとも法定刑最高の懲役15年が求刑された。そして同年6月29日の判決。30日付京都新聞(以下、京都)朝刊1面トップの見出しと本記主要部分は――。
Oに懲役8年、Y10年 共同正犯と認定 銀行の管理ミスも
滝川春雄裁判長は、Oに対して「甘言に乗せられて犯行を重ねた責任はすこぶる重大だが、十分に反省。また、被害弁償の努力もしている」と懲役8年を、Yについては、犯行の大部分で共謀共同正犯と認定。「真面目なOを犯行に導き、金を遣い果たした。自らの責任をO1人に押し付ける態度は許されない」と、Oを上回る懲役10年の厳しい刑を言い渡した。
判決は、犯罪金額はOが8億9420万円、Yが8億7619万円と認定。争点となった共謀については「必ずしも明示的である必要はなく、両被告の場合、黙示的な共謀があったと認めるのが相当」と判断した。また「十分なチェックと適切な配置転換を怠った銀行も大いに反省しなければならない」と銀行の管理体制を厳しく指摘した。

