Oは(昭和)23(1948)年7月、京都・堀川高校を中退。同年12月、滋賀銀行京都支店に就職した。40(1965)年9月3日から山科支店に勤務。預金係をしていたが、仕事に熱心で、同僚や後輩の面倒をよくみるなど、評判はよかった。家族は実母と妹との3人暮らし。
木村茂・滋賀銀行山科支店長の話
Oはベテランであり、仕事も真面目で、私も安心していた。女性行員の指導的立場にあり、残業も嫌がらずにやっていた。私生活のことはあまり関知していないが、問題があったようには聞いていない。
事件があった時の典型的な上司の談話だが、行員生活約25年、支店勤務7年余りの彼女の犯行に対する驚きはうかがえる。記事は最後に犯行の特徴を挙げている。
“慣例”を悪用 操作自在に
今回の詐欺事件は、現金の動かない通帳操作のカラクリと、上司の信頼を利用した“ベテラン行員”ならではの犯行といえそうだ。
普通定期預金を当座預金に変更する場合、客の受取証書と銀行の支払伝票のほかに、同じ額面の当座預金への入金伝票を役席(支店長代理)に持って行き、決裁をもらう仕組み。ところが、客から電話などで変更を申し込まれた時には、証書がなくても当座預金に変更することが銀行の慣例になっている。
Oはこの“銀行の便宜”を悪用。架空の定期預金者が電話で当座預金への変更を頼んだことにして、支払伝票と当座入金伝票だけを役席に渡して印鑑をもらった。定期預金通帳も入金もないため、帳簿上は帳尻が合っており、この段階での発見は不可能な状態。Oは数日後に当座預金を小切手化し、現金を入手していた。
このほかにもOは支店長代理の離席を狙って印鑑を押したり、古い捺印から転写したりして書類を偽造。現金化したとみられる。
この時点で基本的な犯行手口は判明した。その後、報道はいったん途絶え、約半年後の同年9月26日付朝刊に一斉に登場する。再び京都の主要部分を見よう。
750万円のダイヤの指輪を購入
着服なんと4億5千万円 逃走中の元預金係女子行員 上司の印鑑を転写 五年間、電算機だます
滋賀銀行山科支店での詐欺事件は、25日までの調べでОは過去5年間に4億5000万円をだまし取っていたことが分かった。滋賀県警捜査二課は、Oが750万円ものダイヤの指輪を買っていたほか、京都市東山区、燃料販売業者にかなりの金を渡していた事実をつかんでおり、その身辺捜査とともにOの行方を追及している。