母親は子育てに熱心な印象
彼女を悩ませたのが、腹違いの兄の存在だった。
「10代から不良で、畳に包丁を突き刺して父親に金を要求するような男でした。B子はそんな環境が嫌で仕方なく、普通の家族に強く憧れていた。青木家に嫁として迎え入れてもらうと、自分の子供には苦労をさせまいと、必死で頑張ってきたんです」(地元の友人)
そんな両親の元に3人きょうだいの長男として誕生した青木は、大切に育てられた。前出の親族が言う。
「小さい頃は、ジブリの宮崎駿作品が大好きで。明るくて面白い、ひょうきんな子だったんです」
チビッコ野球の思い出を綴った小学校の卒業文集には「親の一言」も付記されている。児童会の議長、将棋クラブ長、地区の子供会会長など、我が子についた肩書が列挙され、親としての誇らしさが滲む。
青木は中学でも野球部に所属。同級生の母が語る。
「お母さんは、練習試合や大会があると、必ずといっていいほど応援に来ていました。PTAの会合には手作りのお菓子を持参し、他の保護者に配っていましたし、とても子育てに熱心な印象がありました」
卒業文集に綴った「大事な物」
寄せられる期待とは裏腹に、思春期を迎えた青木からは、幼少期の明るさが失われていった。小中高の同級生が振り返る。
「あだ名は『まちゃ』。中学に上がってからは斜に構えた感じになった。よく本を読んでいて、会話にも難しい言葉を使っていた。彼女はいませんでした」
中学の卒業文集では、他の生徒が修学旅行の思い出などを綴る中、青木は「大事な物」を主題に、この世で最も大切なものを「命」、その次が「金」と明言。自分が将来ワーキングプアに陥るのではないかと、大人びた筆致で懸念してみせた。
成績は上位で、高校受験では長野市内の私立高には落ちたものの公立の進学校である須坂高校に進む。部員の少ない山岳部に入った。
父・A氏の知人が語る。
「政憲が高校時代、自衛隊好きのAさんは『息子を防衛大に入れたい』と漏らしたことがあった」
だが、高校で成績が伸び悩んだ青木は、一浪の末、首都圏にある東海大の情報通信系の学部に入学した。人生が暗転したのは、この大学時代だ。(つづく)


