「涙を止められなくなってしまって」オーディション中に号泣してしまったワケ
――NMB48のオーディションでは、どのような審査があったんですか?
清水 1次が書類審査で、2次からは大阪での審査がありました。2次は面接で、号泣しながらしゃべったのはめっちゃ覚えています(笑)。
5人で呼ばれて1人ずつ話す流れで、私の順番は最後でした。他のみんなが夢を語っているのを聞いていたら「自分と同じだ」と思って、涙を止められなくなってしまって。正直「落ちた」と思ったので、面接後は「もう来られないかもしれない」と母と話しながら大阪観光をして帰ったんですけど、1週間後に「通過」の連絡が来て「これはもう泣いてはいられない」と覚悟を決めました。
――むしろ、涙するほどの思いが伝わったのかもしれませんね。
清水 グループへの加入後、面接の現場にいた金子支配人(NMB48劇場の初代支配人・金子剛氏)が「泣いていたのが印象に残ったので、通過させた」と言っていたと聞きました。その後は、3次が歌とダンスの審査で、最終審査では、残った20人での合宿がありました。
――面接から3次、最終審査へと進んで見事に合格。NMB48の5期生として、大阪での生活がはじまるんですね。
清水 高校時代は千葉県から通って、NMB48の活動に参加していました。行き帰りの新幹線で学校の課題をこなし、グループの振り付けを覚えて、高校の体育祭が終わってから、NMB48の劇場公演に直行した日もあります。芸能活動も許される学校でしたけど「テスト前の1週間は必ず来るように」と言われていたので、その期間だけは毎日登校して、大変だったけど何とかなりました。
「グループでは同期との優劣が明らかになってきた」
――さすがに、部活はやっていなかったですよね?
清水 いえ、ダンス部と応援団に入っていました(笑)。他の部員に迷惑かけないように1人で黙々と朝練をやって、ダンス部のステージではいいポジションをいただいていたので「絶対に失敗できない!」と思っていたし、周りの子に迷惑をかけないために本気で取り組んでいたんです。
NMB48への加入後、文化祭には参加できなかったんですけど、ダンス部や応援団が活躍する体育祭は、無理にでもスケジュールを調整して参加しました。
――高校卒業後は、NMB48の活動へ専念するようになります。
清水 高校生活との両立がなくなり、地元に帰らなくなったので時間の余裕はできました。でも、グループでは同期との優劣が明らかになってきたんです。高校時代はかけ持ちしている自分が「偉い」と胸を張ることができたけど、グループに専念するようになってからは、誰がメンバーとして推されているのかが見えてきて、何を頑張ればよいのか、分からなくなりました。




