「なぜ、この子が推されているんだろう」NMB48時代の複雑な心境

――職業「アイドル」としての苦悩といいますか。

清水 3歳から芸能界にいたので変なプロ意識やこだわりがあって、人からの注意も受け入れていなかったんです。歌やダンスを「誰よりも完璧に」と張り切っていたけど、求められていたのはそういうことではなかったんだと思います。

 心では「自分の方が上手なのに、なぜ、この子が推されているんだろう」と思いながら、メンバーが振り付けを間違っていたら指摘してみたり、今となっては、大人げなかったです。あと、家庭環境も少なからず、影響していたと思います。

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――どんな家庭環境だったんでしょう?

清水 はい。幼い頃から親に体型を厳しく管理されていて、太らないように食事制限を設けられていたし、中学時代には背を伸ばすためのサプリメントも飲んでいたんです。カロリーの高い食べものは絶対NGで、マクドナルドを食べた記憶なんて一度くらい。

 だから、同期が何も気にせずマクドナルドを食べているのを見て「自分はそうじゃなかったのに……」とうらやんだ日もあるほどでした。

 でも、「私は歌やダンスが上手、体型も細いし顔も小さい」という自己評価を鼻にかけて、悔しがっていただけなんです。悔しさをバネにして頑張ればいいのに、あからさまに態度に出していたら「そりゃ干されるよね」と今なら分かります。

先輩から「ブスッとしていたらよくない」と言われて…

――大人数グループならではの心情でもありますが、乗り越えられた時期もあったんですか?

清水 加入して4年ほどは、トゲトゲしていたんです。でも、仲よくなった先輩から「ブスッとしていたらよくない」と教わって、世界が変わりました。

 その先輩はいつも明るくて、ずっと笑顔でメンバーやスタッフさんからも人気だったんです。マイナスな部分を出さないし、私のことも褒めてくれて。「せっかくアイドルになれたんだから、楽しんだもん勝ちだよ。なれない子もいっぱいいるんだから」と言われたときも、納得しました。

 気持ちが吹っ切れてから「笑顔で愛想よく」を実践するようになったら、握手会にファンの方が集まるようになって、話したことのなかったスタッフさんも「楽しそうだよね」と声をかけてくれるようになったんです。

 活動の幅も広がって「東京ガールズコレクション」への出演が決まったり、YouTubeチャンネル「りかてぃーびー」を立ち上げられたり、スタッフさんが「りかてぃが上に行くには」と考えてくださるようになりました。

 

――ちなみに、清水さんの道を切り開いてくれた先輩は誰だったんですか?

清水 (植村)梓ちゃんです。今も交流があって、NMB48時代に救われたと伝えても「そんなこと言ったっけ?」と返してくるし、本人は覚えていないみたいですけど(笑)。でも、飾らずにさりげなく言ってくれたから、私も素直に受け入れられたんだと思います。

撮影=深野未季/文藝春秋

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