元NMB48の清水里香さん(27)は、前歴にあたる“前世”を様々に持つアイドルだ。現在は、アイドル“4周目”として汗を流し、アイドルグループ「One Last Bloom」のリーダーとしてステージに立つ。

 経歴をたどると、その歩みはひじょうに濃い。子役からライブアイドル、メジャーアイドルへ。卒業後、みずからグループをプロデュースしながらも道半ばであきらめかけ、再び、メンバーとして生きようと思った波乱万丈のいきさつとは。アイドルに憧れた幼少期から、葛藤も抱えたNMB48時代に迫った。(全3回の1回目/2回目に続く

清水里香さん ©深野未季/文藝春秋

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「AKB48さんが大好き」歌って踊るアイドルに憧れた幼少期

――さかのぼること24年前、3歳からアイドルに憧れていたそうですね。

清水里香(以下、清水) 幼稚園では、七夕のたんざくに「アイドルになりたい」と書いていました。でも「なりたい」ではなく、ずっと「なれる」と考えて生きてきたんです。家では、可愛い衣装を着て、歌って踊っているアイドルの姿を夢中で見ていました。

――それほどの熱意があると、自分でも歌ったり踊ったりしたくなるのでは?

清水 人前に立つのは好きでした。だから、浮いていたと思います(笑)。小学校の掃除の時間には、ほうきをマイク代わりにして、AKB48さんの『ヘビーローテーション』を本気で踊っていました。

――憧れのアイドルも、AKB48だったんですか?

清水 はい。誕生日やクリスマスのプレゼントでは、AKB48さんのCDやポスター、メンバーの写真集をねだっていました。家族もAKB48さんが大好きで、将来は「アイドルになればいいじゃん」と後押ししてくれたんです。私が「やりたい!」と言ったことへの反対もなくて、習いごとも自由にやらせてもらいました。

――習いごとは何をやっていたんですか?

清水 小学校ではクラシックバレエ、新体操、ピアノ、学習塾に通っていました。放課後は親が学校へ車で迎えに来てくれて、習いごとまで送ってくれたんです。終わってからは1人で帰り、夜は自分の部屋でAKB48さんのミュージックビデオを見る毎日でした。

 

――だいぶ忙しそうですが、友だちと遊ぶ時間はあったんですか?

清水 なかったですね。友だちがいなかったわけではなく、仲のいい友だちもいたんです。でも、鬼ごっこのような遊びにはハマらなくて、アイドルにふれている時間の方が好きでした。

 お休みの日もAKB48さんが好きな父と一緒に過ごすことが多かったです。私の好きな板野友美さんのグッズを買うために、地元の千葉県から秋葉原のAKB48劇場へ出かけて、帰りは浅草で洋服を買ってもらう日もありました。