「解散するまでハチャメチャでした」200万円も自腹を切ってグループを存続させようとしたが…

――清水さんを含む4人組として再スタートを切ってからは、落ち着きを取り戻したのでしょうか?

清水 いえ、4人組としての再スタートを切ってから、2025年6月19日に解散するまでの約1年7ヶ月は二転三転どころではなく、ハチャメチャでした……(笑)。その間にメンバーの新加入や卒業がありつつ、運営体制もコロコロと変わっていったんです。

 

――何があったのか、できる限り詳しく教えてもらえると。

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清水 私がメンバーになって、4人組となった時期から事務所が徐々にグループから手を引きはじめてしまって。かろうじて活動に付き添ってくれていたマネージャーさんと、私を含めたメンバーのセルフプロデュースのような状況になっていたんです。

 それで、私の貯金から200万円ほどを切り崩してグループの運営資金にあてていました。同時期に、NMB48時代からお世話になっている先輩で、アイドルのプロデュース経験もある(植村)梓ちゃんにも相談して。彼女の繋がりで、2024年8月からは今の事務所がグループを引き継いでくれることになって、なんとか存続できました。

「グループ名を変えてやり直した方がいい」人生4度目のアイドルデビューを遂げた経緯

――波乱万丈ながらも、グループを続けたのはなぜですか?

清水 そもそも、「Party chuuuN!」を立ち上げた社長から、プロデューサーのお話を受けたときに「あなたは逃げないでやり続けられますか?」と聞かれて、私も「続けてみせます」と約束したからです。

 グループが私一人だけになっても逃げたくなかったし、あきらめが悪いので「続けてやろう」と思っていました。

 

――その後、グループは無念にも解散してしまいましたが、2025年7月からは「One Last Bloom」のリーダーとして、人生4度目のアイドルデビューを遂げました。

清水 2025年に入ってから、今の事務所のスタッフさんと何度も話し合ったんです。ボロボロの状態で「Party chuuuN!」を続けるのは茨の道だし「グループ名を変えてやり直した方がいい」と説得されて、3ヶ月ほどは悩んだんですけど、4月頃に区切りを付けようと決めました。

 自分の作ったグループを残すのが大事なのか、アイドルとして人生を優先するのかを天秤にかけたとき「形にこだわる必要はない。1人のアイドルとして、もっと挑戦したい」と思ったんです。振り返ってみると、我ながらすごい人生ですね(笑)。