「見事な首斬り。悲惨を忘れて美感さえ覚える」

《敗残兵らしいのを一名捕えて、これを衛生隊の少尉が斬った。見事な首斬り。雪の上に血の飛沫が何とも形容しがたく、悲惨を忘れて美感さえ覚える》

 人を殺すことに神経が麻痺していく一方、罪なき人々を殺す罪深さも描写される。

《中隊長の命により、女も子供も片端から突き殺す。残酷の極みなり。一度に五十人、六十人。可愛い娘、無邪気な子供。泣き叫び、手を合わせる。あぁ、戦争は嫌だ》

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 そう日記に書いた兵士は戦後、自らの従軍体験を手記にまとめた。しかしそこには日記にある殺戮の記載はない。逆に、日記にはない地元の人との触れ合いが紹介されている。

中国戦線の日本兵ら ©Yoshikazu Hara2025

《親子三人で水車を踏んで、水田にクリークの水を灌漑している。私が思わず、你辛苦辛苦(ニー・シンク・シンク=あなた方お疲れ様)と声をかければ、オオ、先生、辛苦辛苦、と片手を上げて応え、足は休みなく、一生懸命水車を踏みつづけている》

 戦地で即座に書き留めた日記と、戦後に記憶をたどって書き起こした従軍記では、内容に偏りが生じることが浮き彫りになる。

慰安婦通いを「朝鮮征伐」「支那征伐」

 悪名高い「徴発」(現地住民から食料などを奪うこと)や「慰安婦」についての記述も見られる。朝鮮半島や中国出身の慰安婦のもとに通うことを「朝鮮征伐」「支那征伐」と呼んでいる。当時の兵士たちの感覚が表れている。

 やがて戦闘は中華民国の首都・南京の攻防戦へと移る。陥落後、住民らの虐殺事件が起きたことで知られる。南京戦に参加し、日記を残した元兵士の息子が戦後、父親に問い質したことを証言している。

「あんたも南京虐殺やったんだろうと言うと、親父は、いや、俺はやっとらんと否定するわけですね」

 息子はさらに「あなたが参加した戦争は侵略戦争だったんでは?」と問う。父親が最終的に漏らした答えには、自分たちの行為を侵略とは認めたくない心情が表れている。本作の原義和監督は、このように遺族へのインタビューを重ねることで、日記に書かれていない“行間”を埋めようと試みている。

元日本兵の息子と虐殺被害者の娘 ©Yoshikazu Hara2025

沖縄の言葉を話せばスパイと見なし処分する

 こうした日中戦争のありようは、大戦末期の沖縄戦へつながっていく。この問題意識は、沖縄を拠点にドキュメンタリーを制作している原監督ならではだろう。それを象徴的に表すのが、南京戦に参加した歩兵第36旅団の牛島満旅団長だ。攻撃を前に、鹿児島と宮崎の出身者から成る兵士たちを鼓舞した。