「年末の31日から1日に集中して姿を消していた」17名もいた北アルプスでの遭難者

 よからぬ想像が、むくむくと湧きあがってくるのをおさえられず、エスパーステントのあった合戦尾根にむけての入山捜索が決まった。三枝桂子が、入山用食料を調達するためスーパーにむかった。

 入山者は、宮下、近澤、楢島、吉原、そして前進基地木村小屋に待機している鯉沼、小島を連れもどし、合流して入山捜索するという、にわかプランとなった。夜も遅いので、明朝を待って木村小屋にいる鯉沼、小島に連絡することに決定。

 シャッターの閉まった電気屋をたたき起こし、無線機用の電池を購入した。時ならぬ真夜中の客に、電気屋の主人は、眼をこすりながら電池をとり出し、「なんとか早く見つかるといいですね」と言いながら、電卓をはじき1割引いてくれた。

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 翌8日早朝、捜索隊を送り出した八千代館で、留守を守る面々は、近くの新聞販売店から3日分の新聞を買い込んできた。何と報道されているのか気にかかっていたのだ。他のパーティの遭難の様子も知りたかった。

「冬山遭難、甘えの心理」という8段抜きのタイトルが飛びこんできた。

 十二月三十日

 北鎌尾根で二名重傷

 十二月三十~三十一日

 西穂高一名死亡二名行方不明滝谷で雪崩二名死亡

 東大天井で一名死亡一名救出

 後立山(うしろたてやま)で都庁隊二名行方不明

 のらくろ岳友会三名槍めざし行方不明

 劔(つるぎ)北方稜線で水戸父子三名行方不明

 北アルプスでの遭難者は、17名にのぼっていた。年末の31日から1日に集中して姿を消していたのである。昨夜、京大山歩会に電話が通じたとき、「私たちも遭難かかえてまして、私以外は下山してすぐ劔に入っているんです」と言っていたのは、京大生のいる水戸隊のことだったのだ。今も、劔で、また後立山で捜索が続いている。

 そしてここ2日の山岳遭難ニュースは、原発反対運動の中核であった水戸厳(芝浦工大教授)父子3名遭難の記事をトップに、続けて「都庁隊、のらくろ岳友会、依然手がかりなし」とくくられていた。「夏山なみの気軽さで出かける冬山登山に警鐘」に代表される論評が、1つひとつのパーティの計画、準備、行動はどうだったかという検証抜きで語られている。

 遭難したパーティには、それぞれめざす山への取り組みがあったにちがいないが、しかし日本海を東進してきた低気圧が運んできた重い雪と暴風によって、いとも簡単に、1つの記事になっていた。

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