1987年正月、北アルプス・槍ヶ岳登頂をめざした3人の男性が行方不明になった。猛吹雪の中、彼らはどこに消えたのか。聞き集めた他パーティの証言から三人の軌跡を追い、推理を重ねていく山仲間と家族は、苦悩のうちに、やがて大きな謎に直面する――。

 ここでは、捜索に関わった当事者・泉康子氏の著書『いまだ下山せず! 増補改訂』(宝島社文庫)より一部を抜粋して紹介する。(全3回の1回目/2回目に続く)

写真はイメージです ©RATM/イメージマート

◆◆◆

ADVERTISEMENT

「槍ヶ岳をめざした3人パーティが下山してこない」捜索第一隊として駆けつけた4人の仲間たち

 その小さな木村小屋の戸口に、腕組みをして、主人の木村勝男が立っていた。1987年1月5日の午後のことである。

 北アルプス南部遭難対策協議会の副会長を務めている木村は、その日の朝、槍、穂高、常念(じょうねん)山域の山岳遭難対策を受け持っている豊科(とよしな)警察署から、槍ヶ岳をめざした3人パーティが下山してこないので、仲間の捜索隊4人が今から下山口の上高地にむかう、指導してやってくれと電話で依頼を受けていたのだった。

 主人は、もうやってくる頃だろうと戸口に立っていたのである。登山者はたいてい午前中に木村小屋に立ち寄り、入山届や下山届を出していく。ところが午後2時半をまわった頃になって登山姿の男たちは、下から登ってきた。木村勝男は、捜索隊がやってきたなと見当をつけ、その4人の男たちにむかって、たかびしゃに叫んだ。

行方不明になったのは「のらくろ岳友会」のメンバー

「なんなんだ、なんなんだ! 遅かったじゃないか。いったいどうしたっていうんだ」

 事情を最初はやさしく聞かないのが主人のくせである。4人の男たちは身を固くして、

「どうも、のらくろ岳友会です。お騒がせしますが、どうかご指導ください」とつぎつぎに頭をさげた。

 1986年12月28日、槍ヶ岳をめざして縦走に出かけたのらくろ岳友会の三枝悦男(さえぐさえつお、仮名・30歳)、宮崎聡司(みやざきさとし、28歳)、橋本正法(はしもとまさのり、25歳)は、予備日を過ぎても下山せず遭難が懸念された。

 のらくろ岳友会冬季合宿の留守本部を引きうけた杉本茂は、最終予備日である1月4日になっても3人から下山連絡が入らなかったので、会員に招集をかけた。

 その結果、捜索第一隊として駆けつけたのは、会のオールドメンバー、前代表の宮下真史と杉本茂、近澤亘、片山光広の4人である。彼らは予備日の切れる1月4日夜、東京を出発、5日早朝、杉本茂名で豊科署に正式の捜索願を出し、警察の指示にしたがって、3人の下山口に予定されていた上高地に転進してきたのだった。