「冬山経験は何年あるんだ?」
「はい、リーダーの三枝は、10年です」
この宮下の答を聞いて、主人はうなずきながら、
「そうか、今、生きている可能性は充分ある!」と強く言った。
山小屋の主人が身を乗り出して「必ず生還する」と断言した理由
「パーティが、ちゃんと装備を持って入山していれば、からだが動かせなくなるような事故に遭ってなければ、必ず生還する。からだがな、濡れてなければ死ぬようなことはない」
たかびしゃだった口調は消え、主人は身を乗り出して断言した。4人はホッと息をつき顔を見合わせた。アルバイトにこの安堵(あんど)感が伝わったのだろう。今度は野沢菜の追加がさっきとはうって変わって威勢よく出てきた。主人はそれをバリバリ噛みながら語りはじめた。
「今年の天気はな、十数年来、なかった天気だ。例年に比べて雪が少ない。そして寒くない。ただしだ……天気の変わり方が激しいんだよ。その日の天気で、つぎの日の朝から昼までの天気がわかるのが普通だ。ここに30年から暮らしている自分の経験からすれば、その予想の当たる確率も高いという自信がある。
ところがだ。今年のやつは、たとえば、つぎの昼まではもつと予測しても、朝になったら雪が降り出す。猫の目のようにクルクル変わるのが、今年の特徴よ。崩れるのが早い。天気が長続きしない。ベテランでも判断に迷ったはずだ。年末の30日は晴れた。しかし、その夜から元旦の朝まで吹雪になった」
「仮に遭難の3人が動けなくなっているとしたら…」
主人は天気図をめくりながらつぶやいた。
「のらくろの3人がこのとき、どこでこれに耐えたかだな」
木村勝男の言葉どおり、1月5日の好天は夜になると一変し、雪になった。夜が明けてみると、積雪は松本で15センチ、木村小屋前で20センチ。
「山は30センチ積もっただろう」と、木村小屋で一夜を明かした4人のメンバーにむかって主人が告げた。仮に遭難の3人が動けなくなっているとしたら、それは、彼らを覆い尽くしてしまう雪量だった。計画書から推し量(はか)れば、3人が“槍に進むか、それとも常念方向に進路をとるか”を、12月30日朝、大天井岳直下のテント地で選択したはずである。
進路選択の分岐点である大天井岳に、雪が降る前に入って捜索をはじめたいと願っていた宮下と近澤は、木村小屋前の根雪の上にまた降り積もった雪を見てくやしがった。



