1987年正月、北アルプス・槍ヶ岳登頂をめざした3人の男性、三枝悦男(さえぐさえつお、仮名・30歳)、宮崎聡司(みやざきさとし、28歳)、橋本正法(はしもとまさのり、25歳)が行方不明になった。

 猛吹雪の中、彼らはどこに消えたのか。聞き集めた他パーティの証言から三人の軌跡を追い、推理を重ねていく山仲間と家族は、苦悩のうちに、やがて大きな謎に直面する――。

 ここでは、捜索に関わった当事者・泉康子氏の著書『いまだ下山せず! 増補改訂版』(宝島社文庫)より一部を抜粋して紹介する。(全3回の2回目/3回目に続く)

ADVERTISEMENT

写真はイメージです ©アフロ

◆◆◆

1月5日、テレビニュースがはじめてのらくろ岳友会3名の遭難を伝えた

「東京都清瀬市に事務所を持つ、のらくろ岳友会の3名は、三枝悦男さんをリーダーに槍ヶ岳をめざして入山したまま、下山予定の1月2日を過ぎても下山せず、仲間4人が捜索にむかいました」

 1月5日、昼12時のテレビニュースは、はじめてのらくろ岳友会3名の遭難を伝えた。正月気分も抜けきらぬ午前中の仕事を終えて、スイッチをひねった友人たちの耳に、それは突然飛び込んできた。

「まさか、あの宮崎ではないだろうな」

「橋本? あいつ、山やってたのか?」

 みな、それぞれに自分の知る三枝や宮崎、橋本に結びつける間に血が引いた。本田技研朝霞(あさか)研究所に勤める宮崎聡司の同僚である河崎豊和は、暮の宮崎の一言を思い出し、立ちつくした。

会の事務所に見舞いや問い合わせの電話が殺到

 10日前の仕事納めの日の昼、社員食堂の行列のなかに、その夜、山に出かける宮崎を見つけ、

「やあ、宮崎君、調子はどーお?」と声をかけた。

「今回は、緊張してる」

 宮崎の答はこれだった。昨年、一昨年と、正月に槍ヶ岳登頂を目指し、2度敗退している宮崎の今回にかける気迫が、口数を少なくさせていた。

 たちまち、会の事務所になっている清瀬市の杉本茂の家と、神奈川県藤沢市の三枝の留守宅に、3人の友人、知人、会友からの見舞いや問い合わせの電話が殺到した。