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古くからの中心地へ
立派な塀を巡らして、大きな庭を持つお屋敷だ。
さらに御笠川沿いに少し歩くと、山王公園という大きな公園が見えてくる。その中には、日吉神社というお社も。
鳥居の脇に立つ説明書きを見ると、滋賀県の日吉大社を勧請したお社で江戸時代には福岡藩主が正月の三社詣でに訪れる神社でもあったという。小さいけれどなかなか由緒のある神社なのだ。
御笠川の左岸側(博多駅側)、立派なお屋敷が並ぶ一角とそのすぐ近くの立派な神社。どうやら、このあたりは古くからの中心地なのだろう。
このエリアの地名は「比恵」という。由来は日吉神社を“ひえ”とも読むことからなのだとか。
昔はただの農村だった?
古い地図を見ると、この推測が間違いではないことがわかる。お屋敷ゾーンには小さな集落がかなり古くからあったようだし、それ以外に目立つものは日吉神社くらいなもの。他はほとんどまったくの田園地帯だったようだ。
明治の昔、まだ空港など影も形もなかったその昔。東比恵駅周辺は、御笠川が流れて小さな集落とお社があるだけの農村だったのである。
ちなみにもっと歴史を遡ると、この一帯には旧石器時代から人の営みがあったという。
比恵遺跡という遺跡も見つかっていて、6~7世紀頃には大規模な倉庫群が造営されたこともわかっている。
はっきりしたことはわからないが、大陸方面への玄関口と筑紫地方の統治拠点が置かれていたという説もある。
のちのその役割は太宰府に移り、以後は一貫して農村地帯になったというわけだ。




