なぜ農村が大都市に?

 江戸時代、御笠川は「博多の東端」とされていたという。

 都市としての福岡は、博多駅よりも西側で発展した。中洲を境に西側は城下町の福岡、東側は商人の自治で栄えた商業地の博多。このふたつの町が明治以降に合体して福岡市となった。

 

 そして、博多の東の外れに博多駅が設けられた。この時点で、東比恵駅どころか博多駅周辺もほとんど農村地帯だったようだ。

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 博多駅の歴史は古いが、福岡空港は前身の陸軍飛行場が1944年に設けられたのがはじまりだ。広大な飛行場が設けられたことからも、この一帯が農村だったことがうかがえる。

 

 陸軍の飛行場は戦後米軍に接収されて板付基地となり、朝鮮戦争では最前線の軍事基地になっている。その後、少しずつ日本側も民間空港として使用できるようになり、1972年の接収解除によって本格的に福岡空港として形を整えた。

 東比恵駅周辺が農村から都市へと変貌したのも、ちょうどこの頃のことだ。田畑が消えて、少しずつ区画整理も進んでいった。

 

 東比恵駅周辺を含む博多駅東側は、おおむね直線的な通りによって町が形作られている。それは農村を都市に造り替えたことを何より物語っているといっていい。

 新幹線駅と空港の間の空白を埋める、福岡市発展の1ページである。

今も昔も“とてつもない町”

 古くからの農村を守り続けたお屋敷ゾーンと日吉神社。それを囲む田園地帯はすっかりいまでは姿を消した。その痕跡を探すのはほとんど不可能だ。

 それでも、お屋敷ゾーンと日吉神社に比恵という町の歴史が宿っている。

 

 遥か古代、この町には大陸から日本列島にやってきた人たちのための施設があった。海を渡るのが今よりも遥かに危険だった時代。海を越えてきた人たちは、ここで人心地付いたのだろうか。

 

 そしていま、東比恵駅の地下ホームから地上に出ると、空には国内外へと飛び立ってゆく飛行機の姿がある。1000年以上の時を超えて、この町は日本の玄関口なのだ。

 やっぱり、空港と新幹線駅に挟まれた東比恵は、とてつもない町なのである。

 

撮影=鼠入昌史

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