塀に囲まれた建物の正体は?

 駅前から見て正面には、「1853年 浦賀に黒船来航」と名付けられた絵が掲げられていた。やっぱり浦賀、黒船がやってきた町なのである。

 で、肝心な塀の向こう側。そこはかつての造船所だ。

 

 ペリー様ご一行の来航で慌てふためいた幕府が設けた浦賀造船所にルーツを持ち、一時閉鎖されるも1897年に浦賀船渠として復活。

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 戦前から戦中、戦後まで長らく船を造り続けた。青函連絡船の船も浦賀で建造されている。2003年に閉鎖され、跡地の一部は横須賀市に寄付されたという。

 つまり浦賀駅の目の前には、浦賀の町を象徴するような施設があるのだ。

 

 浦賀に生まれ育った人たちは、京急線終着駅の改札を抜けた先の高台から浦賀ドックと町並みを眺めて、「帰ってきたなあ」などと思うに違いない。

 のっけからインパクトのある浦賀駅前。たださすがにこれだけで満足して帰るわけにもいかない。

浦賀にあるのは海だけじゃない

 なので、ひとまず駅前に立ってあたりを見渡してみる。浦賀の町は実に三浦半島らしく、周囲を山に囲われた港町だ。

 

 浦賀の町と海を取り囲む山の上。かつてはそこから沖合に浮かぶペリー様ご一行の黒船も見えたはず。

 

 モクモクと黒煙を吐く蒸気船。浦賀で暮らす庶民はもとより、江戸など遠方からも好奇心旺盛な向きが黒船見物にやってきたに違いない。その中には、のちに歴史を動かす志士たちもいたのだろうか。