“翻訳できない言葉”の本質

「翻訳できない言葉は存在しないと思います」とケズナジャット氏は言う。「『木漏れ日』のような言葉も、しっかり説明すれば伝わる。すべて翻訳可能です」

 

 しかし同時に「何かを一言で表現するのは、再現できない場合がある」と指摘。言語にはそれぞれ、その言語を使う人々の共通の経験を表しているものがあり、完全に翻訳しきれない理由がそこにある。

「例えば、同じ地元の人たちと話す時、20年前にあったけれど潰れてしまったお店が話題になる。それは一言で通じますよね。お互いがそのお店を覚えている、という経験があるからです。その経験が自分たちの共通性になり、仲間の証みたいなものにもなります」

ADVERTISEMENT

日本語と英語を行き来する思考

 創作活動において日本語と英語を行き来するケズナジャット氏にとって、思考で使用する言語はどちらなのか。

 

「多いのは日本語ですね。日常生活で日本語を使うことが多いから。でも両方使っていますよ」

「頭の中でそこまで区別しないで、日本語のセンテンスが出たり英語のセンテンスが出たり」と語る。バイリンガルの思考が垣間見える発言だ。

母語でないからこその「自由」

 英語が母語のケズナジャット氏にとって、日本語での創作には特別な意味がある。

「日本語は母語ではないから、母語話者が使うパターンと違っていることもあるでしょう。でも、そのぶん言葉の使い方が少し自由になっているんじゃないか」

 

 母語話者が無意識に従っている言語のルールから解放されることで、新たな表現の地平が開ける可能性を指摘した。

 言語は単なるコミュニケーションツールではなく、使用者の生活環境や文化的背景を反映する存在だ。ケズナジャット氏の体験談は、在留外国人がどのように日本語と母語を使い分け、新たな言語表現を生み出しているかを物語っている。

最初から記事を読む 《インバウンド急増》在留外国人が陥る「マイジャパン症候群」とは? 「努力してない」→「やりすぎ」の間で揺れる“不安”

その他の写真はこちらよりぜひご覧ください。