だが、大谷の4年目となったこのシーズン、球界の常識はひっくり返された。5月末の東北楽天ゴールデンイーグルス戦で栗山はその日の先発投手であった大谷を6番打者として打線に入れた。投手を打席に立たせないための指名打者(DH)制をわざわざ解除して二刀流を実践したのだ。その試合で大谷は3本のヒットを放ち、7回1失点で勝ち投手になった。栗山の起用と大谷が出した結果は、新たな可能性の象徴としてスポーツの枠を超えたニュースになった。次はどんな可能性を見せてくれるのか、人々は注視して待つようになった。それに応えるように大谷はここまで投手として7勝を挙げ、同時に打者として3割3分を超える打率を残し、9本のホームランを放っていた。だから本間は番記者として常に彼の起用についてアンテナを張っていた。
「翔平は宿題が重ければ重いほど、力を発揮するんだ」
おそらく栗山はこのゲームで、先発投手である大谷を打者としてもラインアップに組み込むだろう。問題は彼を何番に置くかだった。本間は推理しながら、このホークスとの3連戦が始まる何日か前に、栗山が口にしていた言葉を思い出した。
「翔平は宿題が重ければ重いほど、力を発揮するんだ」
あれは自分たちメディアに向けたサインだったのかもしれない。栗山は二刀流の伴走者であり、最大の理解者でもあった。無謀だという意見が球界の大半を占めていた頃、オフレコの場で報道陣と卓を囲むたび、「若者が挑戦しようとしているのに、どうしてそれを否定するのか」と嘆息していた。そんな指揮官にはずっと胸に温めている策があり、それをついに解禁したのではないか。そうでなければ大谷の二刀流を間近で見続けてきたチームメイトがあれほどの反応を示すはずがなかった。
初回の攻撃を見ておいた方がいいという杉谷の言葉から推察すれば、大谷は1回表の攻撃で確実に打席が巡ってくる。つまり1番から3番までのいずれかを打つということだ。本間はプレーボールの40分前になると、胸にざわめきを抱えながらエレベーターで記者席へ上がった。そこからスタジアム全体を見渡した。
しばらくすると場内にアナウンスが流れた。ウグイス嬢がいつものようにビジターチームからスターティングメンバーを発表していく。その第一声であった。
『1番、ピッチャー、大谷』
アナウンスは確かにそう告げた。同時に電光掲示板の1番バッターの欄に「大谷」の名前が浮かび上がった。本間は呆然とバックスクリーンを見つめていた。長くプロ野球を担当してきた記者でも初めて目にする光景であった。何よりもスタジアムの反応が異様だった。観衆はその瞬間、微かにざわめき、その波は静かに場内へ広がっていった。そして、いつまでも消えなかった。人々はいま目にしている事象が衝撃的なことだと認識してはいるが、その大きさを測りかねているようだった。
この試合、何が起ころうと主役は大谷だ。本間は確信した。明日の紙面は全国どこに行っても大谷が一面を飾るだろう。ふと、脳裏に東京本社のデスクの顔がよぎった。ネタに厳しく、容易には原稿を通さないことで知られる鬼デスクは現場の記者たちにとって天敵であり、本間にとっても例外ではなかった。
スポーツ記者なら誰もがスター選手を担当し、一面記事を書きたいと思うものだが、同時にそんな逸材に巡り合えば職責の重圧も抱えることになる。本間はこれまでに中田翔や斎藤佑樹という全国区の選手を担当してきたが、やはり高揚感と同等の重圧に苛まれることがあった。プライベートの時間を削って取材するうち、心身が擦り切れていく経験もした。
だが、この瞬間の本間の頭からはすぐに鬼デスクの顔が消えた。大谷の第1打席を見逃してはならない。その思いが先に立った。本間は再び1階に戻ると、いつもより早めにプレスルームのモニターの前に陣取った。そこでスコアブックを開き、試合開始を待った。(文中敬称略、後半に続く)
※本連載「No time for doubt」(鈴木忠平)は、月刊文藝春秋のウェブメディア「文藝春秋PLUS」で、初回から最終回まで全文お読みいただけます。
