MLBワールドシリーズが10月24日(日本時間25日)に開幕、大谷翔平が所属するドジャースは、ブルージェイズと“世界一”の座をかけて対決する。

 日本球界で大谷は、日本ハムに所属していた2016年にリーグ優勝を果たし、日本シリーズも制している。ノンフィクション作家・鈴木忠平氏が、大谷が日本一に輝くまでの軌跡を描いた話題の連載「No time for doubt ―大谷翔平と2016年のファイターズ―」から、第1回全文を無料公開します。(全2回の2回目/はじめから読む)

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2016年7月3日、大谷は「1番、ピッチャー」で出場した Ⓒ文藝春秋

『二刀流をやって疲れているだろうし、もう休めよと、僕はそう言ったと思うんです。でも翔平は「今やらないと間に合わないんです」と言った。すぐにはその言葉の意味が理解できませんでした。間に合わないって何? と思って。こういうスケジュールになっているんで、だから今、これをやらないといけないんです、みたいなことを言われて、どういうことなんだ? と。後になって考えると、5年先なのか、10年先なのか、一体どれだけ先を見てやっていたんだろうと思います。

 翔平は自分の中にプランがあるんで、試合が終わってすぐにウエートトレーニングに行くことも当たり前で、終わったらすぐに寮に帰ってリカバリーするのも当たり前だったと思うんです。彼がどれだけ野球に真剣なのか、僕を含めてみんな入団当初から間近で見ていましたから、あの頃には誰も夜誘う人はいなかったんじゃないですか。最初はやっぱり「飯行くか」みたいな感じで、みんな声かけたと思うんです。ただ、翔平は仮に夜中にお酒を出すような店に自分が行ったら、周囲や社会へどういう影響が出るのかを19歳、20歳の頃から理解していたような気がします。周りに迷惑をかけたり、悪影響が出るくらいなら行かない。そういうことだったと思うんです』(鍵谷陽平)

 鍵谷はロッカールームにいた。プレーボール直前の時刻になると、ベンチ裏は慌ただしさが薄れ、代わって静かな緊迫感に包まれていく。だが、この日はどこか普段とは異なっていた。まだ微かにざわついていて、これから起こることへの浮き立つような空気が漂っていた。そうさせていたのは一枚の紙片であった。

優勝するためにあらゆる手を打っていった栗山監督 Ⓒ文藝春秋

 ロッカールームの隣にチーム関係者用の食堂兼サロンがある。いくつか並べられた丸テーブルの一つにこの試合のスターティングメンバー表が貼られていた。特別なことではない。栗山はいつもミーティングではメンバーを発表せず、無言のうちに貼り出した。選手たちもそれを通りすがりに一瞥して自分の出番を確認するだけだった。だが、この日は選手やスタッフが何度もメンバー表の前で足を止めた。これは事実なのかと確かめるように見返していた。1番バッターに先発ピッチャーである大谷翔平の名前があったからだ。

 プロ野球では投手の打順は最後尾であることが常識だった。そもそもDH制が採用されているパシフィック・リーグでは投手がバットを握る必要すらない。だが、大谷はゲームで最も大きな責任を負う先発投手でありながら、ポイントゲッターとして打席に立つ。そして、この試合ではついにマウンドに上がるより早く、両軍の誰より先にバッターボックスに入るのだ。首位を独走するホークスに追いすがるため、監督の栗山が秘策を打ったのだろうとは理解できたが、やはり現実感が伴わなかった。