鍵谷は大谷と同期入団だった。その才能と特別な立ち位置から、大谷の周囲には1年目から他者との明確な境界線が引かれていた。キャンプの練習メニューも大谷だけは他の誰とも違っていて、ひとり別枠にあった。外出に際しても特別ルールが設けられており、監督である栗山に同伴者とその目的を告げ、許可を得なければならなかった。大谷自身もゲーム後にたとえ年長者から酒席に誘われても断っていた。同世代の若者が享受するあらゆる娯楽や快楽に背を向け、自分の周りから野球以外のものを排除しているように見えた。

大谷と同期入団の鍵谷 Ⓒ文藝春秋

 鍵谷には忘れられない場面がある。いつだったか、遠征先で試合をして、その日のうちに飛行機で北海道へ戻ってきた日があった。新千歳空港からさらにバスに揺られ、札幌市内の寮に着いたのは夜の12時近かった。ゲームと移動によって誰もが疲れ切っていた。古傷のある右肘に慢性的な張りを抱えていた鍵谷はこういう場合、休養が最優先であることを理解していた。だから食事もそこそこに風呂場へ向かった。すると、その途中で暗い廊下の先のウエートルームから灯りが漏れていることに気づいた。こんな時間に誰かいるのか。覗いてみると、トレーニングシャツ姿の大谷がいた。鍵谷は思わずドアを開けると、大谷に声を掛けた。

「翔平、休めよ」

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「お前ちょっとやりすぎや。少し抑えろよ」

 どれだけ才能があっても怪我によって能力を発揮できないまま、この世界を去っていく者は数多くいた。鍵谷にも苦い経験があった。開幕から好調なスタートを切ったプロ3年目、ほとんど毎試合のようにブルペンで肩をつくり、納得いくまで何球でも投げ込んだ。毎日がフルスロットルだった。そんなシーズンの途中、リリーフ陣のリーダー的な存在である宮西尚生(なおき)から忠告された。

「お前ちょっとやりすぎや。少し抑えろよ」

 日によっては試合中に何度も肩をつくるリリーフ投手は、ブルペンでの球数を少なくすることで摩耗を防ぐ。それは分かっていたが、鍵谷は掴みかけた感触を手放したくなかった。今、結果を出さなければ来年はないだろうという切迫感があった。だから宮西にこう言った。

「僕には今しかないんです」

 そうして目一杯で走り続けた末に、身体が言うことを聞かなくなった。夏場から2カ月間の離脱を余儀なくされた。そんな経験から、鍵谷はこのままでは大谷が壊れてしまうのではないかと感じたのだ。

 大谷は鍵谷の言葉に「いや、大丈夫です」と微笑んだ。疲れてないのか? と問うと、こう言った。

「今やらないと間に合わないんです。だから疲れてる疲れてないは関係ないんです」

 鍵谷は一瞬、その言葉の意味が分からなかった。このシーズンに賭けているから今しかないと言うのなら分かる。だが、間に合わないとはどういうことか。何に対してなのか。これまで誰も通ったことのない道を行く若者はその思考も視座も周囲とは隔絶していた。