官僚の悪しき伝統としての交通ルール

 そもそも運転の適性は個人差が大きく、若い人でも重大事故を繰り返し起こしている人もいれば、高齢者で毎日運転している人でも無事故無違反の人もいる。以前にもメルマガ(池田清彦のやせ我慢日記)で書いたことがあるけれども、高齢者に運転不適格の人が多いとあらかじめ決めて検査をするのは、予防拘束に似て、不公平極まりない。かつては、性染色体がXYYの人は犯罪者になりやすいという理由で、予防拘束をするべきだと主張する人もいたが、そんな馬鹿な主張をする人は今やいないだろう。人の能力を染色体や性別や年齢などの属性で差別するのは、間違っている。検査をするならば、すべての運転免許更新者に同等の検査をするべきだ。

 確かに運転に向いていない人もいる。これも前に書いたけれども、何度も重大事故を起こす人からは免許を取り上げた方がいい。1年間に第一当事者として重大事故を3回起こした人は、その時点で免許を剝奪した方が、高齢者に認知機能検査を受けさせるよりも交通事故を減らせると思う。

写真はイメージ ©︎years/イメージマート

合理的ではない交通ルールも存在する

 交通ルールには合理的ではないものも沢山ある。交通ルールは都道府県の公安委員会が決定権を持つが、決定した時には合理的な根拠があっても、途中で状況が変わって、根拠を失っても、無意味かつ有害なルールが存続している場合が多い。一度決めたことは墨守するという日本の官僚の悪しき伝統なのだろうね。

ADVERTISEMENT

 具体的な話をすると、私がよく利用する「高尾駅前第二」という交差点がある。国道20号にあるT字路で、ここを曲がれば「浅川83号線」を南に進むことができる。この道は浅川小学校の通学路で、かつては歩道もない狭い道で、朝の通学時間帯(平日の7時30分~9時)は国道20号からの進入が禁止されていた。子どもたちの安全を守るために、自動車の運転手には多少不便でも我慢してね、ということだったと思う。