「3月25日の20時頃にAから届いた『死のうぜ』というメッセージが発端でした。軽い感じで誘う雰囲気でした。それ以前にはAが『仕事がきつい』と愚痴るメッセージもあり、あきこはそのメッセージに応えたように見えました。何で娘を連れていくのか、死ぬなら1人で死んでくれ、と思わずにいられませんでした」
あきこさんとAの共通の知人を見つけ、事情を話すと「娘さんはトー横キッズでした」と始めて事実を知った。
トー横とは何なのか、そこであきこさんは何をしていたのか。浩三さんは自らトー横へ向かい、あきこさんを知る人たちを探して、写真を見せながら話を聞いて回った。すると何人かが、あきこさんの話をしてくれたという。
「トー横に足を踏み入れたのは初めてでした。集まっている若い子たちに片っ端から聞いて回ったのですが、最初はどうやって話しかければいいかわからず、誰がリーダーで、誰が危険で、誰が安全なのかもわからない。頼る人もいませんでした。それでもあきこの写真を見せると何人かが話してくれるようになり、あきこが“トー横キッズ”だったことがわかってきました。
トー横にいるのはもっと常識からかけ離れた怖い子が多いのではと思っていたんですが、話してみたらどこにでもいる普通の男の子と女の子でした」
「周囲のキッズたちは『なんでこんな子がトー横にいるんだろう』と」
あきこさんがトー横に居つくようになったのは、一人暮らしを始めた2カ月後の6月ごろで、歌舞伎町内のホテルで過ごすことが多かった。そこは、複数のキッズたちが飛び降りて命を落としたホテルでもある。
浩三さんの記憶の中のあきこさんは地味目のファッションだったが、「地雷系」のファッションで地べたに座る写真などもスマホに残されていた。まるで別人のようだった。
トー横であきこさんは「優しい子」という評判だった。
「鎮痛剤などのオーバードーズはしても、『大麻はしない』『パパ活はしない』と彼氏と約束していて、周囲のキッズたちは『なんでこんな子がトー横にいるんだろう』と思っていたそうです。困っている子がいたら助けたり、トラブルを起こして逃げ回っている子を匿っていたりした、とも言われました」

