「下手を選ぼう」――従来のアイドル観を覆し、現代に連なるアイドル像の礎を築いた番組。それが、山口百恵、ピンク・レディー、中森明菜に小泉今日子といったレジェンドアイドル達を輩出した『スター誕生!』である。
今振り返ると、いったい『スター誕生!』は何が画期的だったのか。アイドル観を塗り替えた番組の裏側を『アイドル・オーディション研究 オーディションを知れば日本社会がわかる』(太田省一(編著)、塚田修一(編著)、辻泉(編著)、青弓社)から一部抜粋してお届けする。(全4回の1回目/続きを読む)
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私たちが現在享受しているアイドル文化は、1つのオーディション番組とともに始まった。1971年10月にスタートした日本テレビ『スター誕生!』(1971~83年)である。
企画したのは、もともと放送作家で、この番組を通して当代一の売れっ子作詞家へと飛躍することになった阿久悠である。審査員のリーダー格でもあった阿久は、それまでのオーディションの常識を覆し、歌の上手・下手ではなく、何か将来の可能性を感じさせる人材を選ぼうという方針をはっきりと打ち出した。それは、親近感がスターの条件になるテレビ時代の到来を明確に意識しての判断だった。
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その結果起こったのが、合格者の低年齢化である。初代グランドチャンピオンになった森昌子は当時13歳だった。当時の常識では、歌手として格段に若い年齢だった。そして森昌子の存在に導かれるように、同学年の桜田淳子や山口百恵が合格・デビューし、あっという間に人気者になっていく。さらに岩崎宏美やピンク・レディーらもあとに続く。それらの歌手は、いつしか「アイドル」と呼ばれるようになった。

