『スター誕生!』はアイドルに「ある要素」を付け加えた

 もちろん「アイドル(idol)」は、「偶像」という意味合いで使われる言葉として、それ以前からあった。しかし『スター誕生!』から生まれた年少の歌手を「アイドル」と呼ぶようになったとき、それとは異なる意味合いが付け加わり、最終的にはもともとの意味に取って代わりさえするようになった。

 それは、「未熟」という意味合いである。子どもではないがまだ大人にもなっていない未完成だからこそ成長する可能性が豊かな魅力的な存在。それが「アイドル」という言葉の意味するものになったのである。

 オーディションは、そんな未完成であることの魅力を最もよく教えてくれるものだった。 それまでの歌手は、たとえ10代の若さでも、デビューした時点で完成していることが求められた。多くの場合、作曲家などに弟子入りしてレッスンを積み重ね、プロとして一定の基準を満たしたと師匠に認められて、はじめてデビューすべきという強固な常識があったからである。

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中森明菜も『スタ誕』が生んだスターの1人だ ©文藝春秋

 ところが『スター誕生!』のようなオーディション番組は、それまで視聴者には隠されていた“デビュー以前”の歌手の様子を見せてくれた。一介の素人にすぎなかったまだ初々しい若者がオーディションを受けるなかで成長し、見違えるほど魅力的になっていくプロセスを画面越しに私たちに教えてくれたのである。

 私もリアルタイムで見ていた世代なのでよく覚えているが、それはとても新鮮な、カルチャーショックと呼んでもいいくらいの体験だった。そして同世代の若者たちは、容姿にせよ人間性にせよ歌にせよ、オーディション受験者のなかにそれぞれ自分の好きなところを見つけ、熱心に応援するようになっていった。それがいま思えば、日本のアイドル文化の始まりだった。

そしておニャン子へ……

 1970年代前半の日本は、高度経済成長が長期間続いた結果、「一億総中流」とも呼ばれる平均して豊かな社会が到来していた。『スター誕生!』は、そうした時代のなかで始まった。未完成ではあっても可能性をより重視するという審査のポイントは、階層差などを意識する必要なく、自分の努力次第で出世し、成功する機会が平等に開かれていると広く信じられた当時の日本社会に正確に呼応したものだった。

 その後も、アイドルの歴史の節目には必ずといっていいほどオーディションがあった。1980年代前半まで、『スター誕生!』は続いた。中森明菜や小泉今日子などもこの番組の合格者である。

 知られるように、彼女たちは松田聖子をはじめとする80年代アイドルブームの重要な一角を担った。 そうしたなか突如登場し、アイドル史に残る旋風を巻き起こしたのがおニャン子クラブだった。

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