「日本の未来は 世界がうらやむ」――1990年代にデビューしたモーニング娘。は、時にアイドルらしからぬ社会的なメッセージも盛り込んだ歌詞の楽曲で世間を魅了した。

 そんなモーニング娘。を生み出した番組『ASAYAN』は、従来のオーディション番組における審査の型を崩し、それがアイドルファンたちに「今までにない楽しみ方」を提供した、エポックメイキングな番組でもあった。

 モーニング娘。がアイドルらしからぬ楽曲を歌唱した背景や、昨今大きな注目を集めるオーディション番組たちにつながるその仕組みについて、『アイドル・オーディション研究 オーディションを知れば日本社会がわかる』(太田省一(編著)、塚田修一(編著)、辻泉(編著)、青弓社)から一部抜粋してお届けする。(全4回の4回目/最初から読む

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モーニング娘。のプロデューサーを務めたつんく♂ ©文藝春秋

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つんく♂が「モー娘。」プロデュースで行った“掟破り”とは?

 モーニング娘。を生んだのが、1995年に始まったテレビ東京『ASAYAN』だ。「夢のオーディションバラエティー。」と銘打って、バラエティ豊かなオーディションの数々を通じて、アイドル歌手の鈴木あみ(現・鈴木亜美)や男性デュオのCHEMISTRY など、多くの人気歌手が誕生した。

『ASAYAN』には、それまでにはあまりなかった一つの特徴があった。それは、『スター誕生!』でも『夕やけニャンニャン』でも審査員は5、6人ほどと複数だったのに対し、こちらの審査員は基本的に誰か1人だったということである。

 その代表格が、小室哲哉でありつんく♂だった。モーニング娘。結成の決断もつんく♂個人によるもの。個人で決められるがゆえに、“敗者復活”という“掟破り”が実現できたという面があった。