モー娘。は楽曲も「画期的」だった

 そして先ほどの話と重なるところもあるが、そうしたつんく♂の思い切った決断は、競争社会化が進展する1990年代後半、先行きの不安を抱える人々にとって、自らをそこに重ね合わせたときにある種の希望を抱かせるものでもあった。

 99年発売の代表的ヒット曲『LOVEマシーン』でモーニング娘。が「どんなに不景気だって」「日本の未来は 世界がうらやむ」などとアイドルソングらしからぬ社会的メッセージを込めた斬新なフレーズを歌ったのも、競争社会による不安が漂い始めた時代背景があったからだろう。

モーニング娘。は1998年、『モーニングコーヒー』でメジャーデビューを果たした
(YouTubeチャンネル「モーニング娘。」より)

 斬新といえば、番組で映し出されるつんく♂の審査スタイルもまたそうだった。オーディションの審査員はいつも小難しそうな顔をして、辛口の評を言う。そんなイメージが強いが、この番組のつんく♂の審査はそんな既成概念を覆すものだった。

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 だいたいの場合、つんく♂は別室でモニターを見ながら審査をする。歌の才能を感じさせる受験者に出会い思わず「おおっ」という感じで目を輝かせ身を乗り出したかと思えば、インタビューの受け答えが個性的で面白いとうれしそうに破顔一笑するという具合だった。

 もちろんその一方で、歌唱法やリズムの取り方に対してプロの音楽家ならではの視点で厳しくチェックし、講評を加える。

 要するに、そこにはファンの視点とプロデューサーの視点が共存していた。特にファンの視点は、それまでのアイドル・オーディション番組の審査員にはみられなかったものだ。そしてこれが伝わることで、つんく♂はアイドルファンの信頼も勝ち得たのだった。

「おニャン子」の仕組みが、モー娘。で完成した

 おニャン子クラブに始まった「卒業/加入」の仕組みによってグループの枠が維持されるシステムは、モーニング娘。で一つの完成をみることになる。そしてそこには、つんく♂と同様にファンもまた、ファンの視点とプロデューサーの視点をあわせもつようになるという効果があった。

初代リーダーを務めた中澤裕子 ©文藝春秋

 ファンは、「卒業/加入」の仕組みによって、メンバーの特定の誰かを応援するだけでなく、グループ全体を俯瞰的に応援する「箱推し」をするようになっていく。そのとき、自分が応援するメンバーが仮に卒業しても、グループのファンはやめないという選択肢が生まれる。

 そこに、「モー娘。の方向性はこうあるべき」というプロデューサーの視点をもつことが、ファンの新たな楽しみ方となった。「卒業/加入」の仕組み自体はおニャン子クラブからのものだが、そのころに比べてファンのほうも、歴史を積み重ねるなかである種の進化を遂げていた。