「スタッフやキャストが沖縄出身者ではない」という批判の声もあがった。原作小説の真藤順丈氏も沖縄出身ではなく、(ここからは映画後半のネタバレになるが)コザ暴動など本土の関心が薄かった沖縄史を描いたうえで、オンちゃんという英雄を失ったかつての戦果アギヤーたちが「武力革命」に走ろうとするクライマックスは「当事者でない作り手の勇み足」と批判されかねない危うさもはらむ。
だが、海外の映画の歴史を振り返っても、マイノリティ当事者による表現が受け入れられる前には、その時代のスターが少数者を演じ代弁することでマジョリティの心を動かす段階が必ず存在するのだ。25億の製作費を投じたと言われ、ヒットメーカーである大友啓史監督とスター俳優たちで挑んだ『宝島』の目的も、いつか沖縄出身のスタッフやキャストが沖縄の映画を作る日のために、商業映画の突破口を作ることではなかったか。
SNSで批判された妻夫木聡の発言の“真意”
映画公開の3か月も前、映画の宣伝キャラバンの第1弾として、宣伝アンバサダーである妻夫木聡が大友啓史監督や広瀬すずとともに沖縄を訪れ、地元中学生たちを前に「沖縄の平和と未来」をテーマに特別交流会を行ったことがあった。
「自分たちは生まれた時から、当たり前に米軍基地があって、映画の中では当たり前ではなく、米軍に反発していたことを知り、戦争の憎しみとか悲しみが風化しつつあることを知った」という意見が中学生たちから出る中で、妻夫木聡は「基地があるから生きていけた人もいる。ただの憎しみだけじゃないと思う。実際、当時を知る人は、怒りだけじゃなかったと言っていた。アメリカに対して怒りを持った人もいたけど、アメリカがいるからこそ生きられた人もいたと思う」と中学生に問いかけたのだが、この言葉が記事として切り取られるとSNSで「米軍基地を肯定するのか」と激しい批判を浴びることになった。
原作、映画の内容を見れば米軍基地と現状を肯定する内容であるはずもなく、その反対であることは明白なのだが、「沖縄出身の俳優でもないくせに沖縄の負担を軽く見ている」という批判(その多くは沖縄県民というより本土のリベラルな人たちのものだった)は激しくネットで渦巻いた。
だが、「怒りだけじゃなかった、基地があるから生きていけた人もいる」というのは沖縄を知る人の多くが認める現実である。映画の中でも描かれるが、窪田正孝演じるレイが身を投じる沖縄ヤクザの暴力の世界でも、米兵相手のビジネスで利益を得る組織と闇にまぎれて米兵狩りをする集団の間で抗争が勃発する。経済的な依存だけではない。映画のクライマックスに関わることだが、米兵と沖縄女性の間に生まれた子供、アメラジアンの子供が物語の大きな鍵を握る。『宝島』が描くのはアメリカ、ヤマト、ウチナーが入り混じる、沖縄の混沌とした歴史そのものだ。
映画公開の2か月前に放送されたNHKの朝の番組『あさイチ』では「妻夫木聡がゆく もっと知りたい沖縄 戦後80年特別企画」と題した異例の特集が組まれた。当時放送中だった連続テレビ小説『あんぱん』で主人公の軍の上官を演じて高い評価を得ていた妻夫木聡は、丸木位里・丸木俊の《沖縄戦の図》を常設展示する佐喜眞美術館、そして北谷町に残るクマヤーガマを訪れて壮絶な沖縄戦の痕跡を視聴者に伝えた。

