スタジオゲストには妻夫木聡とともに、アメリカ人の母と日本人の父のもとで沖縄に育ったジョン・カビラが招かれ、『宝島』で描かれる米軍の横暴、そして現在も続く日米地位協定の理不尽に触れたのち、「本当の『日本人ファースト』ってこういうことなんじゃないですか」と問いかけた。ジョン・カビラの訴えは切実な重さを持っていたが、左派からは「排外主義を思わせる言葉を使うのか」、右派からは「本当のとはどういう意味だ」と左右双方から糾弾されかねないリスクをあえて取った訴えに見えた。
ジョン・カビラの弟である川平慈英は、少年時代に「おい、ハーフ」「ヒージャー(沖縄山羊)の目」と周囲から容姿への心ない言葉を浴びせられた経験や、父から「おまえはハーフじゃない。ダブル(倍)だ」と何度も説かれた経験を琉球新報のインタビューで語っている。かつて「祖父が米兵なので、沖縄を舞台にした(米軍基地問題を取り上げた)映画には出られない」と語ったことがある日本のトップ女優もいる。
「アメリカがいるからこそ生きられた人もいたと思う」という妻夫木聡の言葉は現状への迎合ではなく、存在としてアメリカ人の血が流れるミックスルーツの人々(そこには米兵の父を持つ玉城デニー現沖縄県知事も含まれる)の現実を誠実に見つめたものだ。だがその言葉は、本土の視聴者にどこまで届いただろうか。
『国宝』とはまた違う、『宝島』が持つ“力”の正体
『国宝』と『宝島』。同じ年に公開された2作の映画は、「宝」という文字をはさんでまるで反転した鏡像のように対照を描いている。国の宝と、宝の島。妻夫木聡が「この映画は沖縄を舞台にしていますけど、日本の物語です。そして皆さんの物語だと思っています」と語ったとおり、宝島の「島」とは沖縄だけではなく、島国である日本列島への問いかけとしての射程を持った言葉だ。
記事冒頭で『宝島』への言及を引用した『国宝』の李相日監督も、かつて妻夫木聡が出演した映画『怒り』で沖縄米兵暴行事件を描いたことがある。その『怒り』で被害者の少女を演じたのが、『宝島』でヤマコを演じた広瀬すずだった。
「なぜあんなに厳しかったのか自分でも思い出せないくらい」「信じてしまうことで失うこともある」と語る李相日監督のもとで、役者として若くしてターニングポイントを迎えた広瀬すずは、かつて沖縄の海のロケで李相日から受け取ったものを『宝島』という映画に届けるような演技を見せている。
映画『宝島』の中では、返還前の沖縄県民立がフェンスの前でデモをするシーンが登場する。広瀬すず演じるヤマコも鉢巻を頭に巻き、シュプレヒコールで叫ぶ。
『戦争反対、基地はいらない』『アメリカ出ていけ』
いまや「沖縄抜きの愛国」に熱狂する日本の観客の前でこのシーンを演じることは、リスクの低い選択ではない。だが自ら李相日監督の『怒り』への出演を熱望してオーディションを受けた10代のころから今に至るまで、広瀬すずは李相日監督が語る「覚悟」のいる作品、激しいエネルギーを要求される作品を好んで選んできた。
李相日監督の『怒り』と大友啓史監督の『宝島』は、広瀬すずと妻夫木聡という俳優によって地下水脈のようにつながっている。
「この映画は沖縄を舞台にしていますけど、日本の物語です。そして皆さんの物語だと思っています」という妻夫木聡の言葉には3つの意味がある。ひとつはいう間でもなく語られてこなかった沖縄の歴史。もうひとつは、その沖縄の歴史を「日本の物語」にしてほしいという思いだ。広島長崎の原爆、東京大空襲は「日本の物語」になっているのに、なぜ沖縄はそうではないのか。
そしてそのあとに妻夫木聡が続けた「皆さんの物語」という言葉には、国を超えてこの映画を届けたいという思いがあるのではないか。「うちらは何人も何人もくるされ(殺され)て、向こうは1人死んだら大騒ぎさ」という広瀬すず演じるヤマコの言葉は、パレスチナをはじめ多くの圧政を知る世界の観客に「これは私たちの物語だ」と思わせる力がある。
映画の興行は終盤になりつつあるが、この時代の日本で作られた『宝島』という映画は未来に残る。「島」も「国」も超えた場所まで、この映画の宝が届くことを願わずにはいられない。
