明確な説明が持てなかった

小島 その時点で、予定されていた新潟での先行公開の2週間前くらいでしたが、曖昧な状態で公開するよりは、しっかり裁判を見届けて、関係者全員が納得できるタイミングの方がいいんじゃないか、というのが当時話し合いをして思ったことです。

 単独で配給するのは難しいですができなくはない。しかし事件の事実関係が明確でないまま公開して、問い合わせが来た時に、何も答えられないというのが一番大きかったです。上映してくれる映画館にも非難の声がいくかもしれない。そうなると皆さんに迷惑をかけることになる。そのことを考えると、公開に踏み切ることはできませんでした。

 その頃上映が決まっていたのは40館くらいでしたが、予定も含めると60館くらいは見えていました。宣伝の仕込みもやりきった中で、本当に苦渋の決断でした。

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 近年、様々な理由で公開中止・延期になる映画がいくつかありましたが、明確な判断基準はないんです。正直なところ「ここまで準備した以上はやってみようか」という気持ちもよぎりましたが、公開を強行することへの明確な説明が自分たちの中でも持てない中で公開するのは無責任だな、と。公開すればキャストや監督が前に出るわけで、プロデューサーとして無責任なことはできないなと思ったのが一番かもしれません。

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――このままお蔵入りになるかもしれない、という事態は頭をよぎりませんでしたか?

小島 もちろんありました。そうならないためにはどうすればいいかを考えました。まずは製作の過程で協力してくれた方に「こういう状態なので、少し待っていてください」と説明しました。皆さん作品が世に出ることを望んでくれましたし、僕が落ち込まないように、と励ましの言葉もたくさんいただきました。

 みんな応援してくれたんです。劇場さんも、知り合いのプロデューサーも、作品を見てくれた人も。「この映画は絶対公開しないといけないから頑張って」と。「今しんどいと思うけど頑張って」というメールをたくさんいただきました。それはすごく力になりました。