NHKの取材がきっかけでソウルの店舗に日本人が殺到
――いつから夫婦で働くようになったのでしょうか。
ムン 2020年、コロナ禍に突入すると成さんの店にお客さんが来なくなって。市内から少し離れた場所にある家族連れで行く焼肉店だったので、ガーンとダメージを受けました。私とお母さんの店は街にあったので影響は受けずにいつも繁盛。だったら一緒にやろうかと、焼肉店を閉めて私のお店で働くようになったんです。
――それからなぜ日本に?
ムン 最初は韓国で2号店をオープンしようと思っていたんですけどちょうどその時にNHKの取材を受けたら、日本のお客さんがいっぱい来てくれるようになって。「日本に2号店を出そうかな?」と考えるようになりました。
日本は不景気と聞いていましたし、商売をしたこともありません。でも、脱北のきっかけになったおばあちゃんの話を聞いて「住みたい!」と思っていた国。色々と悩んだ結果、成さんの出身地でもある千葉県にお店を出すことにしました。
――オープンまでの準備も大変そうですね。
ムン 親戚たちから約1000万円を借りて、1年かけて少しずつ準備を進めました。「まずは近所に住む人たちにきてもらって、少しずつお客さんを増やしていこう」と思っていたからチラシも作っていなかったんですよ。店舗のスタッフも私と夫の2人だけ。
でも、オープン初日から数十人のお客さんが来てくれて。お客さんが「ああ、おいしい!」とスープまで飲み干してくれるんですよね。それがうれしかったです。
――先ほど食べた水冷麺は優しい味わいのスープにモチっとした麺が絡んで上品な味でした。
ムン 麺はそば粉がベースなんですよ。スープの出汁は牛骨や豚や鶏を煮込んで作っています。料理人のお母さんから教えてもらった味。材料も韓国から取り寄せて手作りしています。
――ちなみに、平壌冷麺は北朝鮮の家庭料理なんですか。
ムン どちらかというとお店で食べる伝統料理。地方に住んでいる人が平壌に来た時に食べたりしていました。あとは、お店で麺だけの販売もしていました。
以前は、国が経営している冷麺店のチケットが配られていたんですね。北朝鮮は社会主義国家なので配給制なんです。そのチケットを使ったら食べられる料理という位置づけでした。闇市でもチケットは流通していて。だいたい100円から300円くらいだったかな……。
ただ、「苦難の行軍」という大飢饉が起こってからは配給制が崩壊したのでチケットが配られなくなりました。お父さんたちは国が指定した場所で働いているけど、それだけだと食べていけない。専業主婦の人たちが働くようになり、その人たちが冷麺店を開くことが増えました。それでも「今日食べようかな」と思えるような気軽な料理ではなかったです。

