――お母さんもそこでただ事じゃないと気がついた?

小林 主治医が覚悟して母に、「小林さん、赤ちゃんの口が割れてんねんけどな」って言った時、「口唇口蓋裂か。でも、それやったら大丈夫だわ」と思ったらしいんですね。

「この子、生きられますか?」「今のところはね」

――お母さんに病気の知識があった?

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小林 母はもともと歯科衛生士だったので、専門学校の実習の時に口唇口蓋裂の手術に立ち会った経験があったんです。

 で、安心した矢先に、「ちょっと耳もないねんけどな」と言われて初めて母もビックリして、「手足はありますか?」と聞いたのは覚えているそうです。

 その後、さらに心臓に3つ穴が開いていることもわかって、「この子、生きられますか?」と聞いたら、主治医が「今のところはね」と。「この子の将来どうなるんやろ」と漠然とした不安を感じて、夜も眠れなかったと聞きました。

――当時のお父さんの反応はお聞きしてますか。

小林 お父さんは、「妻の前では弱っているところを見せたらあかん」と思ってたみたいで、「これから大変なことがあるかもしれへんけど、しっかり育てていこう」ってお母さんに言ったらしいんですけど、病院の帰り道にやっぱり不安になって、運転している車のフロントガラスが雨で濡れてるのか、自分の涙で前が見えへんのか分からんぐらい号泣したそうです。

――そういった当時の状況を両親からあらたまって聞いたんですか。

小林 本当に世間話の中で、ですね。

 たとえば誕生日にケーキを食べながら、「何年前の今日は大変やったな」っていう話から聞かせてもらったりとか。あと、家族ぐるみでお付き合いしている人に、「この子、こういう病気があって」っていう話をお母さんがした時に、「ああ、そういうことがあったんやな」って子どもながらに覚えていたりとか。だから、わりと自然に聞いてましたね。

2歳の時のえみかさん

一番古い記憶は病院のベッドの上

――では、自分の病気については早い段階から自覚されていた?

小林 そうですね。というか、私の一番古い記憶って、病院のベッドの上なんですよね。それぐらい病院の存在が当たり前やったし、「口唇口蓋裂」っていう病名を知ったのは小学生の時でしたけど、「自分はお口の病気なんやな」っていうのは保育園ぐらいから理解していました。

 当時は病気をネガティブには捉えていなくて、病院に行くのも遊びに行くような感覚で。なので、保育園に行きはじめて周りから見た目のことを言われるようになってはじめて、自分は皆とは違うんや、と認識しました。