――日本では、口唇口蓋裂の当事者は500人に1人いるそうですが、その中でも小林さんの症状は重い方だったのでしょうか。
小林 今、患者会を主催しているので当事者の方にたくさんお会いしてお話聞く限り、自分は重症の方だったんだなと感じました。主治医にも、いつかの診察で大変だったと言われたことがあります。
私は大阪大学歯学部附属病院で治療を受けていたんですけど、「多発奇形」ということで、今は「奇形」という言葉はほとんど使われないんですけど、つまり、口も割れていて耳もない、心臓も穴が開いてたりと様々な合併症があったので、「研究対象にしたい」と言われました。
なので、1歳ぐらいまでは研究患者としていろいろ調べてもらいながら治療をしていきました。
――最初の治療ではどんなことを?
小林 生後3カ月の時、心臓に3つ穴が開いた状態のまま、唇を閉じる手術を受けました。唇を作ったことで鼻の輪郭もでき、機能も整った感じです。
心臓の方は針の穴くらい小さいものだったので、経過を見て幸い2歳を迎える前に治療することなく自然閉鎖しました。
――唇が割れていた時は、どうやってミルクを飲んでたんですか?
小林 母乳が吸えず、口唇口蓋裂用の哺乳瓶や専用の器具で試してもダメで、経鼻栄養で鼻から胃にチューブを通してミルクを飲んでいました。私の場合は唇を閉じる手術した後も全く飲まなくて、哺乳瓶でミルク飲めるようになったのは生後6ヶ月の時でした。
自分の写真を見て「自分はこの顔で生まれてきたんだ」って…
――生後3ヶ月の唇閉じる初めての手術の時に撮った写真を公開されていますが、この写真を初めて見たのはいつ頃?
小林 高校の時ですね。
――わりと大人になってからだったんですね。
小林 病院のカルテのファイルに写真が貼ってあって、今まであんまり意識して見てなかったんですけど、たまたま「あれっ、これ何やろ?」と思って主治医に聞いたら、「えみかの赤ちゃんの時の写真やで」と言われて、めっちゃショックを受けてしまって。
「自分はこの顔で生まれてきたんだ」っていう現実がガーンと響いて、診察室からトイレに駆け込んで吐きました。
――小さい頃から病気を自覚していたとはいえ、ショックだったんですね。
小林 どういう感情かって言われると説明しにくいんですけど、とにかくビックリして。
生まれた瞬間のぱっくり口が割れた状態の写真って、口唇口蓋裂の症例として載っているものでもモザイクされてたり、公開されていても症状が軽いものが多かったので、「思ってたのと違う」となって。それで、泣きながら吐きました。
――今でも写真を見るのはしんどいですか。
小林 今は全然。よくあの状態から今の顔までこれたなっていう感動すら覚えているので、今は抵抗なく見れるんですけど。
でもやっぱり20代に入るまでは、気持ち悪いではないですが、あまり見たいものではなかったですね。
記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。




