ファンタジーではなく、日常の延長線上を描く理由
――『ふまんがあります』(PHP研究所)では、「私の買いたいものをどうして買ってくれないの」っていうところで、お父さんが笑ってはいるんですけど、何とも言えない「いや買わないよ……」みたいな笑顔で(笑)。
ヨシタケ そう、作り笑いなんです。親子の場面ってだいたいそういうものなんですよ。心からの笑顔ってなかなかない。そういうやり取りの連続なんだなっていう自分自身の経験から、「リアルなものにしたい」というのがあるんですよ。「実際こういう顔になってるよね」って。
――ヨシタケさんが、これまで一貫して身の回りのことをテーマに描かれているのはなぜですか?
ヨシタケ 絵本を、純然たるファンタジーとして、日常とは違う世界に没入するという楽しむ方法はもちろんあるんですけれども、僕はちょっと苦手で。むしろ僕は、日常の延長線上にあるささやかな出来事を、「身もフタもないようなことってあるよね」って言いたいんです。逆に言うと、その身もフタもないようなことをちゃんと笑い飛ばすようなことができれば、意外とそれが幸せへの近道になるんじゃないかと思っていて。自分の生き方の肯定に近づくんじゃないかという気もするんですよ。ちょっとずつ、世界観が変わっていくはずなんです。
――これから、こういう作品を作ってみたいというのはありますか?
ヨシタケ 大事なことなんだけど、なかばタブーになっているようなテーマと、逆にどうでもよすぎて話題にものぼらないテーマを同等に扱いたいと思っているんですよね。前者は、死とはなんだろう、障害とはなんだろうというような本。後者は、「服がぬげない」ってことだけを描いた本(『もう ぬげない』ブロンズ新社)。同じ熱量で扱っていきたいです。
――『このあと どうしちゃおう』(ブロンズ新社)でおじいさんがエンディングノートを書いていたり、『みえるとか みえないとか』(アリス館)では視覚障害のある人を宇宙人として登場させています。
ヨシタケ 創作の幅が、ものすごい勢いで今狭まっていく中で、ただ嘆いているわけにもいかないし。タブーとされているというか、「あんまり、そこらへんはやめとこう」となりがちな部分について、「こういう言い方をしたら、結構不謹慎にならなくない?」っていう具体的な提案をできたらいいですよね。一番気に入っている表現を、どこまで妥協できるかという話でもあると思うんです。自分の表現をつきつめて、押し通すというやり方もあるけど、ちょっと妥協することで、かなりたくさんの人に広まるんだったら、その妥協する道を探れる人でありたいです。「じゃあ、こういうのだったらいいっすか?」っていう(笑)。
――やっぱり、そこは怒られないように。
ヨシタケ それもありますし、身もフタもないことを怒られないかたちで、しれっと言ってしまいたいという欲は、やっぱりあるんですよね。
――今日は貴重なお時間をありがとうございました。ちょうど、お子さんは夏休みですか?
ヨシタケ はい、今日が小学校の終業式で、明日からですね(インタビューは7月20日)。自宅が作業場なので、夏休みに入るとなかなか仕事ができないんですよ。ふだんは、午前中に子ども2人が学校へ行っている間に仕事して、帰ってきたら入れ替わりに自分が外に出てネタ探しに。夏休みになると朝からずっといるので、ちょっと困るんですけどね(笑)。
(#1からつづく)
写真=末永裕樹/文藝春秋
よしたけ・しんすけ/1973年神奈川県生まれ。絵本作家、イラストレーター。筑波大学大学院芸術研究科総合造形コース修了。イラスト集『しかもフタがない』や『りんごかもしれない』などの絵本ほか著作多数。MOE絵本屋さん大賞1位、ボローニャ・ラガッツィ賞特別賞など受賞歴も多数。2児の父。