会社員時代に、デスクでこっそり描いていた小さなイラスト
――“付加価値”という発想は、どこからくるものなんでしょう。大学院卒業後、就職されて会社員だった時代があるから?
ヨシタケ まあ、そうですね。社会人だった経験は影響していると思いますね。自分の言いたいことだけを言っても、誰も見てくれないことを実感した時間でした。
大学生の頃は立体作品を作っていたんです。小さい美大(筑波大学芸術専門学群)みたいなところで。それで大学院(同大学院芸術研究科総合造形コース)をとうとう追い出されて、卒業して。半年間だけ、ゲーム会社でサラリーマンをやっていた時期があります。新卒採用で入社したので、最初のうちって何も仕事ができないんですよ。とはいえ、お給料をもらっているので暇そうにしているわけにもいかない。企画書を書く部署だったんですけどね。企画書に向き合わなきゃいけないのに、ずっと落書きを書いていたんです。
――落書きですか。
ヨシタケ 学生の頃は、イラスト描いたり立体作品作ったりの毎日だったのに、会社員になると丸ごと環境が変わってしまって、ストレスが溜まってたみたいで。初めて、イラストに文章を添えるようになりました。
――どんな内容だったんですか?
ヨシタケ 上司の悪口ですね(笑)。ただ、すごく狭い職場だったので、机の後ろを頻繁に先輩方が通るわけですよ。それでさすがにその字面が見つかっちゃうとよくないと思って、その言葉の下に、かわいい女の子を描くんですよ。「その子のセリフです」って。もし何か言われた時にリスク回避できる逃げ道を設定していました。今でも、こうじゃなきゃいけないんじゃないかとか、人にこんなことをしたら怒られるんじゃないかとか、日々ビクビクしています。何より、怒られるのが嫌いなので……。
そうやって自分の愚痴を外にだすことで、ストレス解消になっていた。だから、見つかりそうになったら、利き手でサッと隠せるぐらいの小さい絵になったんですよね。それである時、経理の女性の方にちょっとうっかりして見つかってしまって。「やばい」と思ったのですが、絵を「かわいい」って言われて。今まで人に絵を見せるということをしていなかったから、意外な反応にびっくりして。
――あっ、イラストは人に見せていなかったんですね。
ヨシタケ ただ、自分のためだけにやっていました。でも「かわいい」って言ってもらえたので、絶対この人俺のこと好きなんだと思って(笑)。それは勘違いだったということは後でわかるんですけれども。
それで、描きためたイラストをミニコミ誌みたいな形にまとめてみたんです。会社員時代に深夜のコンビニでコピーして、紙に切って貼って。コミケで売っているような自費出版の冊子を作りました。その当時、半年に1回くらい立体作品の個展をやっていたんですけど、その会場で「経理の女性に褒められたことのあるイラストです」、「イラストも描きます」っていう感じで手売りしました。でもこれもあんまり売れなくて。自費出版だから、在庫が300冊くらい全部うちに届くんですよ。邪魔だけど、捨てるのももったいないので、人にあげてたんですね。
そしたら冊子が人の手に渡って、編集者の方が見てくれて、連絡をいただいて。それが冒頭のイラスト集『しかもフタが無い』(PARCO出版)です。出版された翌月くらいに「週刊文春」の編集部から連絡をいただいて、「ツチヤの口車」のイラストを描きませんか、と。