――街中の視線に敏感になることも?

小林 敏感になるというより、感じたくなくても、もろにそういう目で見られるんです。指をさされたこともあるし、二度見されたり、笑われたりも全然あります。プリクラを撮ってる時、知らない人がわざわざカーテンを開けてきて、「これやで」って、ブースに入りこまれたこともありました。

 当時は家も家庭内別居状態で、学校にも家にもほっとできる場所がなく、リストカットで発散する日々が続きました。

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 その頃は鏡を見るのも嫌やったので、鏡を割ったりして。もうどうにでもなれ、みたいな感じでしたね。

――ご家族も小林さんの異変に気がついたのでは。

小林 自傷行為をはじめた初期の頃、カミソリで切った傷を親に見せたことがあります。もちろんリストカットしたとは言わず、「ここに傷あんねんけど」って。

 でも、親はまさかリストカットなんて思ってもないので、「その傷、どないしたん?」って軽いテンションで言われて。それで何かもう、どうでもいいやって、思ってしまって。

――しんどかったですね。

小林 今は親も、「あの時にえみかがSOSを出してくれてたのに気づいてあげられへんかった」って後悔している話をよくします。

 切っても切っても全然痛くないし、痛くないことも悲しいんですよ。「これだけ血が出てるのに何も痛みを感じひんっていうのは、それだけ心の痛みの方が強いんやな」って。で、そんな風に冷静に分析している自分にもまた嫌気がさしてました。

高校へ進学し、ギャルになってマインドも変わった

――その後、通信制の高校に進学されたそうですね。

小林 中学時代を満喫できなかった後悔もあり、自分で探した高校に進学しました。

 少年院上がりの子や複雑な家庭環境で育った子、本当にいろんな境遇の子たちがいたんですけど、皆めっちゃいい子たちで、救われました。

 私が唇の移植手術をして2週間ぶりに学校に行ったら、「もともとかわいかったけど、もっとよくなったね」って言ってくれて。

16歳の時のえみかさん

――ポジティブでいいですね。

小林 友達は口唇口蓋裂の手術を“美容整形”の感覚で捉えてくれたんですよね。それで自分も気が楽になりました。病気って、重たい感じで話さなきゃいけないのかなって勝手に思ってたんで、そこから話がしやすくなって。

 ギャルメイクを始めたのも、高校の友だちがきっかけですね。

――ギャルになってマインドも変わった?

小林 変わりました。ナチュラルメイクってあんまり変化がないんですけど、ギャルメイクは目元が濃いメイクなので、口元にあんまり目線が行かない。それで鎧をかぶったような気持ちになれて、自信を持てるようになったんですよね。

高校時代のえみかさん

 すっぴんだと元のおとなしい性格なのに、ギャルメイクをすると誰にでも声をかけられるぐらい前向きになりました。