日露戦争前夜から第二次世界大戦後までの満州を描いた『地図と拳』で直木賞を受賞した作家の小川哲さん。今年10月には『火星の女王』『言語化するための小説思考』という2冊の新刊を発表されました。そんな小川さんに、比叡山延暦寺を舞台に僧侶の師弟の相克を描いた『白鷺立つ』で作家デビューした住田祐さんと対談をしていただきました。
史実を足場にしながら、そこに描かれていない空白を想像力で埋めていく「歴史小説」。お二人が、作品の背景からそれぞれが持つ「小説法」まで、創作の核心を語り合います。(出典:文藝春秋PLUS 前後編の後編)
歴史の“空白”から小説は生まれる
――『白鷺立つ』は、主人公の2人以外は基本的に記録に残っている僧侶の名前を使い、史実を元にしながら、そこに書かれていない部分をフィクションとして描いています。一方、小川さんの直木賞受賞作『地図と拳』は、満州の史実を足場にしながらも、その空白を空想によって広げていった作品です。そういった意味で共通点があり、ここからは「歴史小説をどう書くか」というテーマでお話を伺えればと思います。
住田:『地図と拳』、圧倒されました。歴史小説のはずなのに、出てくるキャラクターとエピソードがめちゃくちゃ濃くて、「史実が霞む歴史小説」という気がしました。
小川:ありがとうございます。この作品は、編集者からの「満州で都市計画をした実在の建築家の話はどうですか?」という提案から始まりました。最初は評伝小説のようなオファーだったんです。でも、調べ物をしながら構想を練るうちに、実在の人物をモデルにすると多方面への配慮が必要で、どうしても脳の4割くらいをセーブした状態で書く感じになってしまうことに気づきました。それが小説を書く上で気持ちよくないな、と。
そしてだんだん、満州という国自体が人工的に作られた建築物のような場所だと感じるようになっていって。その実態を描くには、中国側、ロシア側、日本側と多面的な視点が必要になる。そこで、いろんな要素をまとめ込んだ架空の都市を作り、そこに満州というものの実態をすべて閉じ込めようと考えたんです。
――史実という縛りがあるからこそ、フィクションが面白くなる部分はありますか?
小川:資料でどこまでアクセスできるか、限界まで自分で調べる。逆に言うと、限界まで調べて分からないことは、自分の想像力で埋める余地がある。調べ尽くした後に、すごく豊穣な想像力の世界が残っているんです。特に満州は、多くの人が知識を持っているテーマ。だからこそ、素人だった自分が読者の視点で「ここが面白い」と感じた部分を組み立てることができたと思います。知らないところからスタートするからこそ立ち上げられる小説がある、と僕は思っています。

