やめて逃げるという選択肢も発想もなかった

 この時代、何百人もの新弟子が入門しては姿を消した。たいていはスパーリングの厳しさに音を上げてやめていく。そんななか、新倉にはやめて逃げるという選択肢も発想もなかった。自らの意志でプロレスラーになるために入門した人間が、練習が厳しいからやめることが理解できなかったという。

「逃げてやめていく人間は、社会生活や集団生活に慣れていなかったんじゃないですかね。だって、生き残った俺たちは、みんな楽しくわいわいやってましたから。入門したら合宿所で寝食をして、ちゃんこ番で料理の見習いと掃除をやらされて、練習でコテンパンにしごかれたあとは、夕方まで洗濯をしたり、あれやこれやで雑用ばかりだから休む時間もない。そういう生活を想像せずに入ってくると、結局、落差にショックを受けて出て行っちゃうんじゃないですかね。やっぱり顔がグリグリでズタズタになって血だらけになって、レスリングや極めの練習をやるじゃないですか。それで体も痛いし心も折れちゃうんでしょう。

 逃げた子でよく覚えてるのは、後楽園ホールかどっかで試合があった時に、そいつは残り番で道場に帰ってきた選手のためにご飯をつくっておかなきゃいけないんですけど、普通は逃げるならみんなが後楽園に向かったあと、すぐに出て行っちゃうじゃないですか。それがちゃんとご飯を炊いて夕飯のちゃんこの用意までして消えて行ったんですよ。『アイツ、逃げるわりには律儀なヤツだな』って(笑)」

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