最も大規模なものと思われるものは、1962年10月の北海道標津町の古多糠集落への派遣だ。この派遣については、過去にも文春オンラインで記事を公開しているので詳細はそちらを参照して頂きたいが、クマの出没や家畜・人身被害が相次いだため、M16対空自走砲2両を含む部隊が災害派遣され、学童の輸送やパトロール活動を行っていた。

 しかし、住民から駆除への参加を強く求められたため、派遣部隊が銃による駆除活動に参加したことが『週刊読売』で伝えられている。

札幌の街中に出没した158キロのオスクマ ©時事通信社

 また、詳しい時期や派遣地域は不明だが、『標津分屯地創立50周年記念誌』には、1965年に学童輸送支援で輸送隊がクマに襲われたため、第27普通科連隊の隊員が短銃で射殺したとされるクマの写真が載っている。

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スマホも携帯電話もない時代だからこその「通信支援」というお仕事

 ここで、60年代に熊害で派遣された自衛隊の活動内容をみてみよう。多いのは学童の輸送支援だ。当時の日本は自動車普及の最中にあり、現在のように多くの家庭が自家用車を持つ時代ではなかった。

北海道斜里町に現れたエゾヒグマ ©時事通信社

 1962年に自衛隊が派遣された標津町でも、80年代に再度起きたクマ騒動では自衛隊は派遣されず、教員や親の車で登下校が行われている。今回の派遣要請で出番があるかどうかは微妙だろう。

 興味深いのは、クマ狩りの通信支援を行った例だ。1963年11月に北海道帯広市でクマによる家畜被害があったため、地元のハンターによるクマ狩りが行われた。その際、北海道知事から自衛隊に通信支援の要請があり、帯広の部隊から人員18名、ジープ5両、無線機5台が派遣されたと『自衛隊年鑑』にある。

 詳しい活動内容は不明だが、効率良くクマを捕捉するために、携帯無線機の貸与か通信隊員の同行、通信の中継といった支援をハンターに行ったのかもしれない。しかし、現在は無線機を持つハンターも少なくなく、圏外の問題もあるが携帯電話は全員が持っているだろうから、この支援も行われる可能性は低いだろう。