朝ドラ「ばけばけ」(NHK)のトキ(髙石あかり)のモデルはラフカディオ・ハーンの妻・小泉セツ。母タエ(北川景子)のモデルはセツの実母チエと思われる。歴史家の長谷川洋二さんは「チエは松江藩家老の娘だったが、嫁いだ小泉家と共に没落した」という――。

※本稿は、長谷川洋二『八雲の妻 小泉セツの生涯』(潮文庫)の一部を再編集したものです。

写真=時事通信フォト 第38回東京国際映画祭のレッドカーペットに登場した北川景子(「ばけばけ」のタエ役)=東京都千代田区、2025年10月27日 - 写真=時事通信フォト

物語が好きなセツが聞いた、美しい実母の昔話

少女時代に、セツの心が最も熱心に求めていたのは、学校の先生を含め、周囲の大人たちが誰彼となく話してくれる物語であって、セツは大人を見つけては、しょっちゅう「お話ししてごしない」とせがんだものである。「夜になると行灯(あんどん)が点る。その薄暗い影で色々なお話を聞く」と後年セツが回想する時が、最も幸福であった。

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彼女は二十(はたち)過ぎまでも物語好きでいて、人に話を求めるのをやめなかったが、その結果としての豊富な物語の貯えが、未来の夫(ラフカディオ・ハーン)の文学に貢献しようとは、夢にも思わなかった。

実母が12歳で結婚した「最初の夫」の悲劇

セツが繰り返して聞いたもう一つの話は、セツの実母チエの若い頃の話である。チエは「御家中(ごかちゅう)一番の御器量(ごきりょう)」と褒めそやされた稀(まれ)に見る器量の持ち主で、しかも名家老塩見増右衛門の一人娘であったために、殿町(とのまち)も三の丸御殿の前の広壮な屋敷に、京・大坂より師匠を招いて芸事の稽古を受けるなど、文字通りのお姫様育ちをしたのであったが、13歳になる少し前に、一度さる高位の侍の家に嫁入りをした。

藩公から格別な祝儀を賜って、盛大にとり行われた婚礼の晩のことである。夜も深まったが、待てども待てども新郎は寝所(しんじょ)に姿を現さない。突如として庭からただならぬ物音が聞こえて来た。

チエは、まだ年端(としは)も行かぬ娘の身ではあったが、護身の懐剣(かいけん)の袋緒(ふくろお)を解き、雪洞(ぼんぼり)を掲げた侍女一人を従えて姑(しゅうとめ)の部屋に向かい、廊下から落ち着いた声で、