単身渡仏、衣装合わせで体が震え…

 語学研修を終えて、ヘルムートが拠点とするパリへ飛んだ。彼には「一人で来い」と言われたので、マネージャーもプロデューサーもつけず単身での渡仏だった。彼から事前に「SMっぽいものも撮りたい、それはOKか」とも訊かれていたので、「あの人の写真集はちょっとSM風だから、ちょっとぐらいなら」と思ってOKを出した。ところが、いざパリに着き、衣装合わせの部屋に入ると、部屋いっぱいのSMの道具を見て、これはとんでもないところに来てしまったと体が震えたという(『週刊現代』1993年3月27日号)。

石田えり写真集『罪―immorale―』(1993年、講談社)

 撮影は1週間続き、風邪を押して裸でポーズをとった日もあった。咳をすると、ヘルムートに「咳をするな。俺は咳が大嫌いなんだ」と怒られたという。このほかにも試練の連続で、撮影中には何度も「逃げるならいまだ」と思ったが、自分が強い覚悟で臨んだことなので、途中でやめるわけにはいかなかった。

写真集は30万部を超えるベストセラーに

 裸で椅子に縛りつけられたり、床に這いつくばって掃除させられたりと、屈辱的な格好もたくさんさせられたが、ヘルムートからは「どんなに屈辱的だと思っても、毅然としていてほしい」と言われていた。そう言い聞かせられるうち、撮影の終わりがけには彼が望んだとおり、強く、たくましい女性に変わっていき、立場もSとMが逆転した感じになっていたという。濃密で特別な時間をヘルムートと共有し、最後のカットでは、終わる悲しさと安堵感で泣いてしまったほどだった。

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『罪』は、有名女優が続々と写真集を出したヘアヌードブームのさなかに出版されたが、オリジナリティと芸術性でほかの写真集と一線を画し、SMというセンセーショナルな要素もあいまって、30万部を売るベストセラーとなった。石田自身にとっては大きな転機となり、この撮影を乗り越えたことで、“極限状態でも毅然とする強さ”を手に入れるとともに、《本気でやりたいことがあれば、きっと誰かが繫いでくれて、最後にはそこに辿り着けるってこと》を心の底から確信したと振り返る(「FRaU」ウェブサイト2017年11月2日配信)。

©文藝春秋

 なお、ヘルムートとは彼女が40代になってから再び写真集を出す計画を立てていたが、2004年に彼が交通事故で急逝したため実現せずに終わった。(つづく)

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