その後も5人はミネソタ州やインディアナ州の銀行や商店を襲撃し続ける。逃亡の際にあらかじめ誘拐した人質を連れていくことで、警察の銃撃を回避し、カーチェイスの果てに州をまたいで逃げ切るのが定番の手口だった。当時のアメリカは州警察の連携が取れておらず、州境を越えると警察はそれ以上の追跡ができないことをクライドらは熟知していた。強盗の実行犯はクライド、バック、ウィリアムで、逃走用の車で待機しているのがボニーたち女性の役割。

 犯行及び逃走に使われたのは当時最強レベルの馬力を誇っていたフォードV8で、強盗の際クライドはブローニングM1918自動小銃を愛用していた。

国民の鬱憤を晴らすアンチヒーローに

 殺人も厭わぬバロウ・ギャングは警察にとっては最も憎悪すべき存在だった。しかし、1930年代のアメリカは禁酒法と世界恐慌で暗雲が立ち込めていた時代。不況にあえぎ酒でストレスを発散できない国民の一部は、ボニーとクライドが自分たちの代わりに鬱憤を晴らしてくれるアンチヒーローのような感覚に陥り、彼らに称賛の声を上げる。賛否両論はあるものの、連日のように新聞紙面を賑わす彼らが全米の注目の的であったことは間違いない。

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 1933年6月10日、テキサス州ウェリントンにてボニーとウィリアムを乗せフォードV8を運転していたクライドが橋の建設中であるとの警告標識を見逃し、車ごと渓谷に転落する大事故を起こした。クライドとウィリアムは奇跡的に軽傷で済んだものの、ボニーは事故の際に発生した火災に巻き込まれ右足に重度の火傷を負うことに。結果、彼女は歩くことも困難となり、以降、バロウ・ギャングは各地の宿泊施設に潜伏し、ボニーを治療しながらの逃亡を余儀なくされる。

 7月20日、ミズーリ州プラットシティのレッドクラウンという宿に身を隠し、クライドとウィリアムがボニーの包帯や薬剤を購入していたところ、店員が気づき通報。警察は2人を追跡し、宿泊先を特定したうえでカンザス州から装甲車を呼び、同月20日、宿の客室に向け攻撃を開始すると、バロウ・ギャングも対抗し銃撃戦に発展。