歴史を振り返ると…

 燈籠坂大師の切通しトンネルから100メートルほど北東には、国道127号の城山隧道がある。隧道とはトンネルの和語で、トンネルと全く同じ意味の言葉だ。国道127号は房総半島西部の内房を往来する最も主要な道路といえる。この城山隧道が開通したのが1943年。その10年後の1953年に国道指定されている。

 城山隧道が開通する1943年以前、内房の往来に使われていたのが、この燈籠坂大師の切通しトンネルだったわけだ。燈籠坂大師の切通しトンネルは、その名称から燈籠坂大師にお参りするために造られたトンネルだと思われがちだが、実はそうではなく、内房を往来するための幹線道路、いわば房総半島の大動脈として造られたのだ。

 燈籠坂大師の切通しトンネルが造られるよりも昔は、急峻な山を越える難所だった。房総の諸大名が参勤交代の際に使用していたルートでもあり、この難所を解消するために造られたのが、燈籠坂大師の切通しトンネルだった。当時は2メートルほどの高さしかなかったが、後に掘り下げる改良工事が行われ、現在の姿になったのだ。

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 こうした歴史を知れば、トンネルの見え方も変わってくる。燈籠坂大師の切通しトンネルはその見た目はもちろん、担ってきた役割や改良が繰り返されてきた経緯など、さまざまな魅力が詰まっている。

休日には観光客の姿もチラホラと見受けられる

 SNS映えする見た目でもあり、休日になれば観光客の姿もちらほらと見受けられる。しかし、トンネルの前で写真を撮ったらすぐに帰ってしまう人も少なくない。せっかくここまで来たのに写真を撮るだけで帰ってしまうのは、もったいないと感じてしまうのは私だけだろうか。

 階段を登って燈籠坂大師にお参りし、国道の城山隧道を眺めるなど周辺を散策すれば、より燈籠坂大師の切通しトンネルを楽しめる。おせっかいかもしれないが、ぜひともお勧めしたい。

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