僕にも意識ははっきりしているという自覚があるので「ナメてるのか? 大卒だぞ?」という気持ちで自信満々に答えようとするのだけど、驚いたことにそういう簡単なことが結構わからなかったりする。わからないはずがないということがわかるだけに、わからないことにびっくりするのだ。
例えば「今どこにいますか?」と言われて僕は「そういえばどこの何病院にいるのかわからないな……」と考える。そうすると看護師さんが「病院ですよ」と言う。僕は「それはわかっとるわ! 簡単すぎか!」と思う。全然俺の頭はっきりしとるやんと思う。
で、「今日は11月3日ですよ」と言われて「なるほど、完全に理解した」と病室にかけられたカレンダーを見ると、そこに書いてある数字と「11月3日」という概念が結びつかない。「いや、11月3日がわからんわけない」と思って何度もカレンダーの数字を凝視するのだけど、脳に謎のエラーみたいなものが出てその情報を処理できなくなるのだ。
「カレンダーの1段目の3という数字が今日のことだ。覚えた。もう大丈夫だ」と思う。目を離す。もう一度カレンダーを見る。もうカレンダーのどこを見ればいいのかわからなくなっているし、今日が何日なのかもわからなくなっている。自分でも奇妙だった。このもどかしさは果たして健康な人に伝わるんだろうか。
病室の時計はすべて針が曲がって見えた
もっと直接的ですぐには幻覚だと気付けない幻覚もあった。当時、病室のベッドから見える時計がすべて長針も短針もグニャグニャに曲がっていて、ものすごく時間が見づらかった。ダリの「記憶の固執」という絵がわかる人はそれを想像してほしい。
僕は長い間、「この病院の医者はアート好きかなんかでそういうクセ時計を置いているんだな」と解釈していたのだけど、実際には僕の視界がずっとグニャグニャに歪んでいただけだった。
夢を見ている最中はどんなに無茶苦茶な設定・展開も自然に受け入れてしまうように、幻覚を見ている最中はそれが幻覚であることに気付けない。相当にクスリでキマった状態で寝てるのか起きてるのかもわからない日々を過ごしていたんだと思う。