高田馬場駅前の「吉田屋そば店」は閉店3年で驚きの状況に

 次に向かったのは高田馬場である。JR北口改札を出て正面の信号を渡ったすぐにあったのが「吉田屋そば店」だ。西武新宿線の線路脇下にあるスペースの一番駅寄りに店はあった。店主の草野彩華さんの父が昭和22(1947)年に地主と契約し創業した「幸寿司」の二毛作として昭和51(1976)年、そば屋を始めたという。

高田馬場北口改札を出てすぐにあった「吉田屋そば店」

「幸寿司」の看板を記憶している方も多いと思う。TVなどでも「二毛作の店」としてずいぶん取り上げられていた。

 つゆは自家製で、宗田節と鰹節の厚削りで出汁をとり、ザラメと醤油を合わせて作っていた。天ぷらは横浜の「天ぷらいわた」から仕入れ、そばは「君塚」同様「むらめん」の茹で麺を使っていた。「天ぷらそば」を注文すれば30秒もかからずどんぶりが届く。アツアツのつゆをひとくち飲んで、そばをズズッと啜り、つゆに浸した天ぷらにかぶりつく。

ADVERTISEMENT

「天玉そば」は絶品だった

 出てくるのもはやければ、食べ終わるのもはやい。草野彩華さんはリアル江戸っ子。どんなお客さんにも面白いことを話しながらチャチャと対応していた。

店主の草野彩華さん

「吉田屋そば店」は令和4(2022)年7月31日に閉店した。それからの変化が驚きだ。令和7(2025)年10月9日に高田馬場駅改札に降り立ち、信号を渡るとそこには、工事中の鉄のフェンスと白いカバーが張り巡らされていた。一帯は完全に撤去されて、ほぼ更地になっていた。

「吉田屋そば店」のあった一帯は更地に

 これだけでもすごくびっくりしたのだが、フェンスで囲われた部分は目を疑うような狭さだった。店はこんなに狭いエリアで営業していたのか。白いカバーの隙間からのぞき込むと、ずっと下の方まで見渡せる。とにかく狭い。そしてあることに気が付いた。店主が写る写真左側の部分が斜めになっている。実はこれ、西武線の線路を支える擁壁の角度と同じだ。つまり店主は擁壁に寄りかかって仕事をしていたわけである。

手前の擁壁が斜めになっている

 現在は更地だが、整備後は駐輪場になる予定だという。なお、草野彩華さんは現在も元気そのものだそうだ。ご主人は大井町で「彩彩」という大衆そば屋を今も元気に営業している。近くに立ち寄られた際には暖簾をくぐってみてはいかがだろうか。

 さて、「吉田屋そば店」の跡地をみた自分の感想はこれ。

「『吉田屋そば店』は意外と狭かった。でもうまかったぞ。Long goodbye」