ラブホテル風に使われるモーテルへ
キューバ革命記念日のパレードでは、カストロ首相が演説する姿を間近で見ることができた。なぜ、あれだけ事前の根回しがあったはずなのに、返事がないのだろう。気の短い清張さんは日ましにイライラがつのって「君、何とかならんのかね。よく黙って辛抱しているね」と、怒りのつぶてが飛んでくる。何とかしたいのはやまやまだが、私の力ではどうにもならない。
1月3日、日本大使館の正月行事に招待され、餅つきを見、そのあつあつのお餅をご馳走になった。そのとき、大使館で下働きのような仕事をしていた肥田野さんという老人が、松本清張という世界的な作家がわざわざハバナまで来てくれたと、下にもおかないもてなしぶり。翌日から数日、会議の合間をぬって、ハバナ市内のいろいろなところに親切に案内してくれた。
ヘミングウェイの別荘、トロピカーナという大きなナイトクラブなど観光名所はもちろんのこと、日本人も働く「キューバ漁業指導センター」など珍しいところにも連れて行ってもらった。
さらに肥田野老は、日本ではその頃まだなかったのではないかと思う、モーテルにも案内してくれた。車でのりつける連れ込み宿か、と清張さんは苦笑した。その頃のハバナに、そんなにマイカーが普及しているとは思えなかったが、とにかくラブホテル風に使われるモーテルがあった。清張さんは肥田野老に、
「車を降りた二人は、どうやってドライブインの係の人に顔を見られることなく、部屋へ入り、お金を払い、部屋から出ていくのか」
と、案内してもらいながら、こと細かく質問攻めにした。ひどく殺風景な部屋だった。壁の片隅に20センチ四方くらいの窓口があり、そこで料金を支払うようであった。いつか小説にするための取材かと思えるほど、あたりを仔細に観察し、熱心に訊きつづけた。この見学が後でまた、一つの「事件」を引き起こすことになったのだ。
帰国してから、清張さんを訪ねたとき、キューバでなぜ竹中労さんを無視したのか、を聞いた。
何年か前、週刊誌「女性自身」に匿名の“清張ゴシップ”が載った。清張さんがヨーロッパ旅行をして帰国の途中、ベイルートに立ち寄った。小説「砂漠の塩」の映画化が進んでおり、主演女優・新珠三千代がその地でロケ中だった。清張さんは陣中見舞いに行ったのだ。長いロケも終わり、映画が完成したあと、清張さんは新珠三千代の労をねぎらって、高価なダイヤモンドの指輪をプレゼントとして持参したが、受け取ってもらえず、すごすごと引き揚げた、というゴシップだったようだ。
「女優に作家がダイヤモンドの指輪を贈った、という程度の話なら、まあ、仕方がない。笑って読みすごせる。しかし、受け取ってもらえず、肘テツをくらって帰った、とまでひどいウソを書かれては、これは許せない」
