清張さんのジャーナリスト精神
「こんなひどいゴシップを書くような奴は、ジャーナリストじゃないよ。ジャーナリストにとって大切なのは、真実だ。ウソを書くなんてことは許せない。何度も言うが、こういう筋の悪い人間とつき合ったら、ジャーナリストとして大成しない。君はまだ若いのだから、十分注意しないといけないよ」
清張流ジャーナリスト規範第一条を、再びこんこんと諭されたような気分だった。
それからしばらくして、月刊誌「話の特集」で、竹中労さんの「キューバ紀行」の連載が始まった。どんなキューバ・レポートになるか、私は楽しみに読んでいた。ところがその中に、こともあろうに清張さんと私のことが出てきた。松本清張と文春の記者Oは、ハバナ市内のモーテルにしけ込み、社会主義の国でも結構楽しんでいた、というのである。これはひどい。案内されてモーテルを見学には行ったが、女性としけ込んではいない。しかし、ほんの短い記述なので、清張さんには報告せず、無視しようと考えた。
ところが、すぐに清張さんから電話がかかってきた。
「君、『話の特集』を読んだかね。また、あの男がありもしないことを書いている。あんなことを書かれて、君は平気なのか。早く編集長にかけあって、善処しなさい」
清張さんにそう命令されたら、頬かぶりしてすますわけにはいかない。「話の特集」編集長・矢崎泰久さんに話をして、次号で訂正してもらい、一件落着となった。
カストロ対談はついに実現しなかった。2週間粘ったが、上部から連絡がない、の一点張りで、最後までラチがあかなかった。ラテン系民族のケセラセラ、なるようになるさ気質と、共産党の官僚主義がミックスされた壁は、清張さんの事前の根回し、押しの強さ、迫力の英語力をもってしても、どうしても打ち破ることはできなかった。残念無念、空振りのまま、帰国とあいなった。
しかし、私なりのキューバ旅行の“成果”はあるにはあった。それは、清張さんが考える、いや、無意識の行動の中にあるジャーナリストとは何か、について、具体的に実地教育を受けた、と思えたことだ。清張さんの大いなる好奇心、徹底したインタビューの積み重ね、質問の技術。そして清張さんは、ことの大小に関係なく、事実を曲げてはいけない、ウソを書いてはいけない、という愚直なまでにクラシックなジャーナリスト精神をもつ人であった。
*本記事は北九州市松本記念館発行の『松本清張研究』第8号(2007年6月)「特集 清張とメディア――時代との遭遇“ジャーナリスト”松本清張さんの一面」より抜粋、修正し、松本清張記念館友の会5周年記念誌『[講演集]清張と私』(2006年3月)に掲載された講演録「清張さんの真正面主義」の一部をくわえたものです。

