デビュー作のCMもオーディションで
いまでこそ朝ドラのヒロインには、相応にキャリアを積んできた俳優が起用されることがほとんどだが、かつては新人の登竜門という性格が強く、多くの若手俳優が勇んでオーディションに挑戦していた。ただ、池脇の場合、その4年前の1997年に「三井のリハウス」のCMで8代目リハウスガールとしてデビューすると、映画『大阪物語』(市川準監督、1999年)に続き『金髪の草原』(犬童一心監督、2000年)で主演し、ドラマにもあいついで出演していた。それだけに彼女のなかでは、新人として朝ドラに出ることには抵抗があったらしい。
もちろん、あとから振り返れば朝ドラでヒロインを演じたことは俳優として大きなステップとなった。そのオーディションでも、課題を与えられてその場で芝居をすることが面白くて、合格することより「お芝居ってホント楽しいなあ」と考えていたという。
池脇は幼い頃からテレビに出て演技をする人になりたくて、小学校の卒業文集にも「将来は女優になりたい」と書いていた。デビュー作となった「三井のリハウス」のCMは、テレビ東京系の番組『ASAYAN』でオーディションを行うというので、彼女の夢を知っていた友人が応募してくれたという。
このオーディションの最終選考の審査員だったCMディレクターの市川準は、控え室では目立たなかったのにカメラの前に立つと急に輝き出す池脇にすっかり魅せられる。「三井のリハウス」のCMに続いて市川が監督した『大阪物語』の企画も、彼女をどうやって育てていこうかという話から持ち上がったという。
「小さい仕事も一度相談して」デビュー当時から見せていた“根性”
この映画はタイトルどおり大阪を舞台に、沢田研二・田中裕子夫妻が劇中でも夫婦漫才師を演じ、池脇はその娘・若菜の役だった。撮影は、若菜の成長を描くため、1997年秋から翌年の夏まで長期にわたった。その過程でロングヘアをばっさり切らねばならず、たまらなくいやだったが、母親から「女優さんてな、おばあさん役を演じるために、歯まで抜いた人がおるんやで」などと説得され、《女優さんってそれくらい根性ないとアカンのやなぁって》観念したという(『週刊朝日』1999年3月12日号)。
もっとも、彼女の根性はデビュー当時から相当なものだった。事務所は当初、池脇をアイドル的に売り出そうとしており、仕事を勝手に決めてしまったことがあった。これに彼女は納得できず、《事務所に相談して、「お願いだから小さい仕事も私に一度相談してもらいたい。勝手に進められると困る」という話をした》という(『週刊朝日』2006年10月6日号)。





