故・さいとう・たかを氏が率いた「さいとう・プロダクション」は、劇画というジャンルを切り拓き、『鬼平犯科帳』や『ゴルゴ13』など数々の名作を世に送り出してきた。氏の死去後、その遺志を継ぎ、代表取締役社長に就任したのが、公私ともにパートナーであった齊藤輝子氏だ。
「メイキング・オブ・鬼平」最終回は、さいとう・たかを氏の創作の裏側、知られざる素顔、そしてプロダクションの未来について、齊藤社長にお話を伺った。
堺職人のDNAを受け継ぐ
──さいとう・プロの社長として、心掛けられていることがあればお聞かせください。
齊藤 2つあります。まずは、スタッフの健康管理です。健康なくしては、何もできませんから。もう一つは、皆さんが生活していけているか、金銭的に不自由していないか、を常に考えております。あとはもう、プロフェッショナルの方たちですので、細かいことはお任せしています。作品には口を出さないようにしています。
──さいとう・プロダクションといえば、「分業制」が大きな特徴です。
齊藤 さいとう先生が分業制を導入したのは、「読者のためにより良い作品をつくりたい」という思いだったからだと思います。漫画という作品づくりにはさまざまな工程がありますが、すべてをパーフェクトにできる人は非常にまれだと思います。魅力的なストーリーを考えるのが得意な人、迫力ある絵が描ける人、それぞれ得意な人が担当すれば、総合的に素晴らしい作品になると思われていたようです。幼少の頃から映画がお好きだった先生ならではの発想だと私は思います。
さいとう先生は堺の出身で、職人の街なんです。常に「わしは職人だから」とおっしゃっていました。その職人気質が、遺伝子の中に組み込まれていたのかもしれません。一人ではできなくても、それぞれの得意分野を集結させれば、良いものが提供できるんじゃないか、と。
──ご自宅での先生は、どのように作品と向き合われていたのでしょうか?
齊藤 週に2、3日はネーム(構成)のために、自宅で作業をしていました。ある時、ネームがなかなか上がらなくて、スタッフから催促が来たんです。マンションのテラスでタバコをふかしているので、「先生、早くお願いします」って言うと、「わしが机に座った時にはもう全部できてるんだよ。だから心配しないでくれ」と。実際に机に座ってペンを持った時には、本当に迷いがありませんでしたね。
──悩んでいるように見えて、頭の中ではすべてが組み立てられていたわけですね。
齊藤 常に頭の中で考えていたと思います。『鬼平犯科帳』は池波正太郎先生の原作がありましたが、『ゴルゴ13』は先生のオリジナルです。ですから、ゴルゴの脚本が来た時に、「これ、ゴルゴではないな。さあ、どういう風に料理しようか」とおっしゃっていました。粗筋さえあれば、あとは自分で色々と肉付けをして、さいとう流の『ゴルゴ13』にしていく。まるで脚本家さんたちとのセッションを楽しんでいるようでした。




