故・さいとう・たかを氏が遺した劇画の世界を、今もなお支え続けるさいとう・プロダクション。その制作現場の古賀憲氏に、作品制作の裏側、そして師であるさいとう・たかを氏から受け継いだ教えや思い出について、詳しくお話を伺った。
3か月先までスケジューリング
──どのような業務をされているのでしょうか?
古賀 まずは、スケジュール管理ですね。出版社に3か月先までの締切を聞き、予定表を作ります。今、さいとう・プロには作画スタッフが私を含めて12名います。この人数で『鬼平犯科帳』を月1回、『ゴルゴ13』を月2回、『ゴルゴ』のスピンオフを隔月で担当します。作画チーフのふじわら・よしひでさんがスケジュール表を元に、スタッフの割り振りを決めています。
作画チーフと共に一番頭を悩ませるのは、作画スタッフをどうやって休ませるか、です。お盆や正月になると、その直前は締切が前倒しになるため、土日の休みが1日だけになることもありますから。
──スケジュール管理以外には、どのようなお仕事がありますか?
古賀 脚本のチェックですね。脚本が来たら、真っ先に読みます。一番感じていることですが、さいとう・プロは分業制が確立されている分、脚本が命なんです。さいとう先生がご存命のときは、脚本が来たら先生ご自身が「じゃあ、料理するかな」と構成をされていました。ですから、「この流れは鬼平らしくないな」と思ったら、ガラッとラストを変えたりもされていました。現在の体制ではそれができないので、脚本の完成度を高めてもらわないといけない。幸いなことに、脚本家の方々も理解してくれて、完成度をすごく高めていますので、安心しておまかせしています。
──他にはどんな作業がありますか?
古賀 表紙の相談もします。担当編集者からラフ案が来るので、それを元に作画チーフと相談しながら、絵柄の構成を相談します。方向性が決まったら作画チーフがペン入れをして、その段階で刀のパーツなど、全体的なバランスをチェックします。
──もう一つ、非常に重要なお仕事として、“音”の管理があると伺いました。
古賀 「ドバッ」や「ズキュン」といった、さいとう劇画特有の擬音ですね。先生がご存命中に描かれた原稿からスキャンした擬音が4000近くあり、全てを切り抜き、画像データ化しています。ネームを読んで、音を拾っておき、完成原稿にトレーシングペーパーをかぶせ、チーフが音位置をトレペに書いて、音データを編集部に送り、張り付けてもらうわけです。
さいとう先生は生前、完成した原稿にご自身で「ガチャ」とか「ドサ」とか書き込まれていたんです。この作業は誰も真似できません。一時期、作画チーフが擬音を描いていたんですけど、やっぱり違和感があった。何かいい方法はないかと思って、現在の擬音をデータベース化する方法に辿り着いたわけです。
──なるほど。さいとう先生がお亡くなりになった後も、分業制が見事に引き継がれているのだと思いますが、どんなことを心がけられていますか?
古賀 さいとう先生がよくおっしゃっていたのは、締切に関してです。「間に合ったって言うな」と。「締切に間に合わせるのはプロとして当たり前だ」と。締切までに余裕を持って仕上げて、いかにブラッシュアップするか、その時間を確保することが大事だと。それは今のスタッフにも伝えています。お蔭様で、締切には余裕を持って進行しています。コロナが全盛だった時にウチのスタッフも罹患して大変だったんですが、原稿は落としませんでした。
──教え方についてはいかがでしたか?
古賀 さいとう先生は教え方も見事でした。絶対、「あかん」とか「良くない」とかマイナスな言葉はおかけにならない。例えば、僕は銃器や背景の資料をご用意することが多かったんですが、「お、かっこええやん。まあ、ええやん」って褒めながら、「これ、もうちょっと正面に向けたらどうや」とか色々提案されるんです。他のスタッフに対しても、頭からダメ出しすることは決してしませんでした。だから、皆の士気が上がるんですね。
さいとう先生は映画が大好きで、さまざまな映画をご覧になっていました。どの作品に対しても、必ず褒めるんですよ。例えばロシア映画なのに、ハリウッド風にしようとして努力してるな、とか。必ずいいところを見つけるわけです。それからは僕自身、いいところを探すようになりました。そうすると、映画に関する見方が変わりましたね。
──さいとう・プロとの出会いはどのようなものだったのでしょうか?
古賀 僕はもともと銃器が好きで、銃の専門誌の編集を20年ほどしていたんです。その関係で、『ゴルゴ』に出てくる銃器の展示を手伝ってくれと誘われたんです。それでなんとなく繋がりができて、2017年頃から銃器担当兼作画スタッフとして働くようになりました。





