また、ローマ帝国は、建築や土木など一部の分野では高度な技術をもっていたが、安価な奴隷労働に依存していたため、生産技術への関心が薄かった。ようはイノベーションに投資することなく、属州から収奪した資源に財政基盤をおいていたため、労働力不足や財政難に対する突破口がなかったのである。

 貿易赤字が累積するなかで、改鋳によって価値が目減りしたコインの受取を拒否するインドのような国も出てきた。それでも外国からの輸入に頼らざるを得なくなっていたローマは、国庫から金、銀、あるいは改鋳されていないコインを国外に放出することによって、何とか交易を維持していた。

 だが、歳出は軍事費だけではない。宮廷費や宮廷官僚機構の維持費、公共事業費、ローマ市民に対する食料配給や娯楽(パンと見世物)も馬鹿にならない規模だった。

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エミン・ユルマズ氏 ©文藝春秋

「悪貨は良貨を駆逐する」――日本に投げかける意味

 こうした無理を続ければ、必ずどこかに歪みが生じる。

 大量の貨幣を必要とするなか新たに発行される銀貨の銀の含有量が減っていくと、今度は銀の含有量が多い改鋳前のデナリウス銀貨が価値を持ち始め、人々はそれを貯め込むようになった。

 グレシャムの法則「悪貨は良貨を駆逐する」という言葉通り、銀の含有量が多い銀貨は世の中から姿を消し、銀の含有量が少ない銀貨の流通量が増えてしまった。やがてデナリウス銀貨は消滅し、銀の含有量が少ないアントニニアヌス銀貨が流通するようになったが、最終的にその含有量は150分の1にまで減らされる始末だった。

 貨幣の著しい毀損に加え、近年の研究では、気候変動とパンデミックがローマ帝国の衰退に与えた影響の大きさも指摘されている。2世紀後半と3世紀半ばに流行った大規模な疫病が人口減少を引き起こし、その時期にそれまでの温暖な気候が終わりを告げ、寒冷化により農業生産が深刻な打撃を受けたという(カイル・ハーパー『The Fate of Rome: Climate, Disease, and the End of an Empire』)。

 人口減少と不作が帝国の税収基盤を破壊し、貨幣の貴金属含有量を減らして名目上の通貨供給量を増やすという悪循環を加速させたのである。

 経済難に陥ると安易に通貨を大量発行するというのは、ローマ時代からあった話であり、それは現代でも見られる。私たちが暮らす日本もその典型例だ。

 日本は1980年代のバブル経済が崩壊した後、長年にわたってデフレ経済に悩まされたが、その間、景気対策と銘打って、巨額の財政出動が繰り返された。国債という借金を通じて世の中にお金をばら撒き続けたわけだが、その結果はどうなったか。ローマ帝国末期に、国家が自ら貨幣価値を毀損し続けた結果、崩壊の危機に瀕した事実が投げかける意味は大きい。