しかし西ローマ帝国は、406年のヴァンダル族による侵入、409年のブリテン島放棄、410年の西ゴート族によるローマの掠奪など度重なる侵入を許し、476年にはついに消滅した。
一方、東ローマ帝国は、ササン朝ペルシア帝国やノルマン人、イスラム勢力など外部からの脅威にさらされ、時の流れとともに領土の縮小を余儀なくされたが、1453年に首都コンスタンティノープルがオスマン帝国によって陥落させられるまで、実に1000年以上にもわたって存続した。
お金の衰退が帝国の運命を映し出す
なぜ西ローマ帝国が短命だったのに対し、東ローマ帝国は1000年以上も命脈を保つことができたのか。
この点については諸説紛々だが、首都コンスタンティノープルが、アジアとヨーロッパの境に位置する交易の要衝であり、当時のヨーロッパにおいて最大の貿易港になったこと、三方を海に囲まれかつ増設された城壁によって強固に守られた要塞都市だったこと、豊かな穀倉地帯を有し、地政学的に他民族に侵略されにくい位置にあったことなどが挙げられる。だが、もうひとつの重要な側面は、「ソリドゥス金貨」という高品位な金貨が流通し、これによって貨幣経済が発展したからだと考えられる。
ソリドゥス金貨は、4世紀の皇帝コンスタンティヌス1世によって鋳造された金貨だ。200年から300年にかけて、ハイパーインフレに悩まされたことは前述の通りだが、過去の歴史に学んだのだろうか。東ローマ帝国では、ローマ帝国が二分される前から、コンスタンティヌス1世によって金の含有量を高めたソリドゥス金貨が鋳造され、各地で流通した。ちなみに同金貨の金含有量は4.48グラム前後で、純度は95.8%だった。
7世紀に入り、東ローマ帝国領のうちシリアとエジプトがイスラム勢力によって征服されたが、その後もソリドゥス金貨は流通し続けた。
ソリドゥス金貨の驚異的な安定性は、700年以上にわたって続いたが、11世紀に東ローマ帝国が深刻な財政危機に陥ると、金の含有量は徐々に引き下げられ、信頼が失われていった。ソリドゥス金貨の衰退は、そのまま東ローマ帝国の運命を映し出しているかのようだ。
お金の価値が歴史をつくる象徴的な例のひとつだろう。